Subbacultcha

「サブカルチャー」という括りの下、文学・芸術・漫画・映画等について述べます。

2011年11月16日水曜日

継承すること『HUNTER×HUNTER 29』

今更ながら、ハンターハンター、ゴンさん登場巻を友人に貸してもらってすっごい面白かったので、ちょっと思ったことをつらつらと。
本誌は未読で、極力情報を得る事を避けているので、あくまで貸してもらった25~29巻の感想です。

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・・・いやぁ、これはもう、いくら待たされても評価せざるを得ない。面白い。
しかも、かなりギリギリの所で、きちんと「少年漫画」であることを保ってる。
かなり皮肉っぽい雰囲気でありながら、「友情」「努力」が勝利に繋がっている、という。

読みながら思っていたのですが、
「友情」=その場に存在しない自分以外の人の思い

「努力」=過去から未来へ繋ぐこと

生存フラグが確定=「勝利」に繋がってるんでない?

つまり、何が少年漫画っぽさを感じさせたかというと、
「きちんと少年漫画的な順序を踏んでいるキャラクターは生き、」
「そうでないキャラクターは死ぬ」
という、「少年漫画」というルールを下に、運命が確定しているような部分にそれを感じたのです。

幾つか例。
他の漫画や映画だと、確実に死亡フラグであろう決意や台詞を漏らしているキャラ。

シュート。

このシーンの後、シュートはもう限界だ!という歩く、いや飛ぶ死亡フラグみたいなシーンが出て来ますが、彼はこのシーンによって生存が確定したんじゃないでしょうか。

イカルゴ。
彼もこのあと、何回も死亡フラグを立てますが、生き残るんじゃないかと。
彼らの「努力」は「友情」へと繋がっている為です。

「努力」の方向が「友情」では無く、「自分」であったり、もしくは「ほぼ自分」という自分と同一視するキャラへのものであった時、そのキャラクターには未来が無くなる、のでは。

例えばネテロ会長。
多分この漫画中、最強の部類に入るキャラクターだろうに、王に対して思いっきり噛ませ犬化してしまった。
結局、会長の強さは、王が述べるように「個の頂点」だった為ではないか、と思います。
王の反則級の強さの要因は、彼が「種族の頂点」である為に持つ「思いの強さ」です。彼自身では無く、「キメラアント」という種族に属する者達全ての願いがここに集約されているのです。
その王に対し、会長は滾る、滾るとか詰めるもんなら詰めてみなとか、結局のところ、他者の思いを介在すること無く、自分の為に闘ってしまった。負けるのも道理っちゃあ、道理なのです。少年漫画的に。

で、相対する王。
ただ、無条件に存在して居れば、「迷いの無いキメラアントの王」として、「種族=第三者の思いを継ぐ者」として、無敵の存在だったにもかかわらず、王・メルエムはコムギと出会った事により、条件付きの存在、即ち「自分探しモード」、非常に揺らぎ易い存在になってしまう。
コムギを存在意義の柱として確立出来れば、まだ無敵だったのでしょうが、その意義も失ってしまった。
このシーンの後、王は死んだり生き返ったりしてますが、後々コムギが復帰して王と出会う様な事があったとしても、「無敵の存在である王」はこのシーンで死が確定したのではないでしょうか。

で、ゴンさん。
自身が仰っているように、彼は「ここで終わり」なのです。
少年漫画的に、「死者の思いを継ぐ為」、例えばカイトの思い、「キメラアントの殲滅する為の闘い」であれば、アリだったのですが、明らかにゴンさんは「死者の為」闘ってらっしゃる。

死者の思いとは、口寄せや交霊術みたいなシークエンスを挟まない限り、遺された者の身勝手な思い込みでしかない。
故に、「自分の為に闘う」ゴンは死ぬ。

・・・とまぁ、ゴンが、レオリオとかクラピカ辺りのポジションであれば確実に死ぬシーンでしょうが、一応主人公なのでココで終わらせてしまうと話が終わる。
どうやってソコの所理由付けをするのか、次の巻をまた楽しみに待ってます。
まさか富樫先生だし、精神世界でカイトが出て来て「生きろ、ゴン・・・!」なんて興醒めシーンはやらない筈、ですよね?


This Wayェ…!


個人的に一番好きな少年漫画家。
 ➼藤田和日郎の描きたかったドラマはココに在る『月光条例 14』

フラグなんて、ぶっ壊せ!
➼決して消えない光がある『正義隊』




どう考えても、28巻と29巻の表紙デザインだけおかしいだろ、これ…。

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