2012年10月11日木曜日

舞城王太郎VSジョジョサーガ『JORGE JOESTER』、あとジョジョ展東京の感想など


あんまりにもアマゾンで『JORGE JOESTER』が酷評されてるのでイラッと来て擁護を。
あとジョジョ展に行ったので、軽く感想など。
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本作の主人公は、『ジョジョの奇妙な冒険』一部の主人公・ジョナサンの息子、二部の主人公・ジョセフの父、ジョージ・ジョースター。

で、買う前にアマゾンのレビュー見たら、これが非難の嵐で。
「ファンに迎合した作品を書くべきとは全く思いませんが、少なくとも荒木先生への敬意と荒木先生ファンである読者への敬意を持ってほしかった。」
「ジョジョにおいて荒木先生の「人間讃歌」を理解していない、もしくは重要と思っていない」
「20年来のジョジョファンですがこれを公式と受け入れられる人は素直に尊敬します」

自分もある程度その内に含まれるものとして敢えて言いたいのは、
これだからオタクは嫌いなんだよ。

4部の人気者、ひねくれ者の漫画家・岸部露伴は敵に向けてこう言い放ちます。
「この岸辺露伴が最も好きな事のひとつは、自分で強いと思ってるやつにNOと断ってやる事だ…」
自分で「こう」だと思っていることは、必ずしも「真」ではない。

以上に紹介したレビュワーの中には、荒木先生のインタビュー中の発言を引用して来て、舞城王太郎の書き方・描き方は、荒木先生のジョジョの描き方の意にそぐわない、だから駄目、という論理を展開されている方も居ます。

ですが、創作物の読み方・感じ取り方は、受け手が百人居れば百通り。
こう読まねばならない、そんなものはないのです。「作者の意図」と「作品」とは、それぞれに独立している。「作品」に100%作者の意図を反映出来る、なんてことは無い。
だから俺は国語の授業が大っ嫌いなんだ。

概して「オタク」だとか「DQN」だとか言われる人達は、「自分たちの世界」に没入し過ぎてる。「それ以外」を自分たちの世界に持ち込まれた時、彼らは過剰にそれを追い出そうとする点で共通する。故に彼らはベクトルが違うだけで、全く同じ人種である。
故に、俺はお前らが大っ嫌いなんだよォー!!
てめぇの世界観を押し付けてくんじゃネェェェ!!!

前置きが長くなりましたが、つまり「ジョジョはこうあらねばならない」という独り善がりな思い込みの激しいジョジョオタの方は読むべきではない、そんな小説です。

内容紹介。

1904年、カナリア諸島、ラ・パルマ島。
泣き虫、弱虫のジョージ・ジョースターは、いつも共に育ったリサリサにいじめっ子から守ってもらっていた。
ある日、そんな彼らが通う学校で奇妙な事件が起きる。
度々心が傷つき、そこから逃れるために、人体から発現する超常的な能力<ウゥンド>と、この世界は人間の意図を遥かに越えた神的なもの<ビヨンド>に操られていると主張する名探偵・九十九十九との出会い。
それらは、ジョージを奇妙な冒険へと誘っていく。

一方、2012年、日本の福井県に、名探偵・ジョージ・ジョースターは居た。
彼が連続密室殺人事件に頭を悩ませている時、突如加藤九十九十九が現れた。彼はジョージに対して、「名探偵が先か、事件が先か?」「何か自分が恣意的な力に操られていると感じたことは無いか?」と謎をかけて、早々に退場する。
そして、ジョージは事件解決のため、杜王町へ向かい、物理法則をねじ曲げる超能力ことになる。

二人の違う「ジョージ」が織りなす物語は、螺旋のように絡み合って、やがて一つの巨大な、異形な物語になっていく。


その巨大な物語が形成される過程で、
岸部露伴杉本玲美パッショーネファミリープッチ神父ファニー・ヴァレンタインカーズ、DIOといったおなじみのジョジョキャラ達が入り乱れます。
けれども作中でジョージの記憶を露伴がヘヴンズドアーで読むシーンがあるのですが、

「僕がヘブンズ・ドアーで読んだ君の<本>には、君の西暁町に生まれて名探偵として大活躍して……っていうのは全部『偽書』ってタイトルで章分けされているんだよ」

え?

露伴が続ける。「ちょうど君の左耳の後ろに『正書』もある。とても短いから暗唱するぜ?『1889年スペイン領カナリア諸島にて生誕。イギリス空軍のパイロットとなり第一次世界大戦に参戦。1920年空軍司令官に殺害され死亡。』これだけだ。」



と。
鼻っから「正書」の部分はこれだけで、あとの本書で描かれる部分は全て「偽書・ジョジョの奇妙な冒険」である、と作中で表明されているのです。俺はこの箇所で、なるほどなぁー、と思ったわけです。これは、ジョジョという一連の作品に対する舞城王太郎の戦いなんだ、と。

虹村無量大数・不可思議兄弟、廣瀬康司といった誰だお前はというキャラが登場します。
ファニー・ヴァレンタインの息子、ファニアー・ヴァレンタインが暴れます。
ナランチャのスタンドはUボートです。
スタンドに目覚めたカーズが、聖人になりかけのDIOとスタンドバトルを繰り広げます。
ハチャメチャなオリジナル展開が、在ります。

ただ、本書において肝要な部分はスタンドバトルとかオリジナル要素ではなく、
如何にして舞城王太郎が、ジョージが、「ジョジョ」と闘うか、「物語」という外枠・囲いと闘うか、というところにあります。
それはニーチェの述べる所の「超人」、「虚しく繰り返される『物語』を超克しようとする姿」であり、また、荒木飛呂彦の述べる「黄金の精神」、「社会的・人間的な価値観を超えたところにある『正義の輝き』の様なものを追い求める姿」だと、俺は思いました。
要するに、十分俺にはコレはジョジョ小説だと思えた、という話です。
「真のボスのボス・DIO」と、「主人公という役割を与えられたジョージ」とのメメタァ、いやメタメタなラストバトルは、是非とも読んで欲しいアツさがあります。

きちんと、「エリナがリサリサとジョージを連れて、どうやって爆発炎上する船から生還したか」とか「ジョージは何故ゾンビに殺される羽目になったか」といった、本編で描かれなかったジョジョストーリーも、舞城王太郎的な、いや、九十九十九の引用元である清涼院流水的な、壮大なスケールで以て補完されています。

前述したジョジョファン以外のジョジョファンには、是非とも読んで欲しいジョジョ小説です。


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ジョジョ展行って来ました。
ジョジョのカラー原画を観れて、嬉しい!

…ただ、嬉しい、以上の感想は特に無い、んですよね…
以前、京都国際漫画ミュージアムで「岸辺露伴 ルーブルへ行く」が展示されているのを観た時(過去記事へのリンク)も感じたのですが、荒木先生の絵は「漫画」だな、と。

斎藤環さんの著作で述べられているように、漫画と現実は違う時間が流れています。
➼『戦闘少女の精神分析』要旨「ファリックガールズが生成する」個人的まとめ

カイロス的時間、つまり「その時間を感じている主体によって長さが様々に変わる時間」が流れているのが「漫画」。
ジョジョにおいても
「あ…ありのまま起こったことを話すぜ…!(略)」というシーンがあるように、または飛行しながら戦闘するシーンがあるように、漫画内に流れている時間は現実ではあり得ない経過の仕方をします。
特にジョジョでは、次の瞬間何が起こるか、何が起きたのか分からない、という「流れ」が魅力的、だと俺は思います。

だからその流れ無しで、ブツ切りで見ると「なんか違う」と思っちゃうんですよね。
扉絵なんかで表示される「ジョジョ立ち」も、「扉」だからこそ魅力があるんだと思います。
一枚一枚の絵が、コマが、本当に美しい漫画もたくさんあると思うんですが、バトル漫画でもある本作は、ちょっとそういうのとは違う、絵が美しい漫画とは違う、と改めて思いました。
あと、ジョジョ展書き下ろし・各部主人公一枚絵があったんですが、明らかに第一部当時と荒木先生の絵柄が変化してしまって、ジョナサンかよこれwwwww誰だよこの細マッチョはwwwwwと笑ってしまいました。

あ、でもグッズ販売は勿論大興奮でした。
うわっこれ欲しい!うわっでも売り切れとか!うわっこれ欲しい!けどちょっと高くて手が出ねぇ!とか一人で大盛り上がりでした。

成果。

・ソフトアンドウェットパーカー
・露伴先生限定カラーVer
・各部主人公と各部ボス集合ポスター
・イギーキーホルダー

ちょっと軍資金足らずでした。ジョジョ展図録はちょっと欲しかったなぁー。


ソフトアンドウェットになり切る。
シャボン玉が弾けて、財布の中からお金が奪われました。

※10/11 追記
会場内で「ジョジョの奇妙なスタンド体験写真館」なるイベントをやっており、
モノクロで写真が撮ってもらえるのですが、その背景はランダム。
背景と同時に、ランダムでスタンドが映り込む、という仕様です。
きちんと数えてないけど、全15種くらいかなぁ。
平日だったので割と空いてました。

「空間を削り取るッ」ガオン

…Google+を見てて思いましたが、皆さんジョナサンのポーズし過ぎですw
パッと思いつくジョジョ立ち、ってやっぱコレですよねぇ。



「ルーヴルへ行く」の感想。

荒木先生の源流が此処に。



「九十九十九」の元ネタ。



の更に元ネタ。



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