2010年6月11日金曜日

疾走、即ち人生『マインドゲーム』






アニメが実写に勝る部分には、スピード感と情報量があると思うんですが、
これってシュールレアリズムのダダを起し始めた人達が理想としてたテーマと重なる所が有って、「動く絵」ってのはそれそのものがシュールなんかもしれませんね。




物質が精神を生み出せないように、形あるモノが形の無いモノを生み出す事は出来ません。
スピード感とか時間感覚は主観的に感じるものなので、形が無い、故に形ある人が演技でそれを表現しなくてはならない所に、実写の限界があるのです。
無論、表現をしている実写映画もたくさんありますが、疑似の疑似、三次創作になってしまい、最早それは別のものとしての面白さを獲得してしまっているのです。

この「マインドゲーム」は、疾走感・トリップ感が素晴らしかった。
突き詰めた勢いは、疑問を押し殺す。
まるで短編集のように次々と場面、テーマが変わり、勢いでその変化をガンガン押し通していく展開は、素晴らしいスピード感に溢れています。観終わった後のこの爽快感!
どこまでがこの映画の現実で、幻なのかを錯覚させるのには色使いと音楽のぴったり感もあったと思います。
70年代欧米に殴りこみを掛けて来たインド文化のような極彩色と、ボアダムスの山本精一が創り出す電脳世界のBGMは、ネオなサイケデリックを感じさせます。
エンターテイメント性のある電子麻薬。
思わずサントラを欲しがらせる、素晴らしい音楽群でした。

夢野久作は主著「ドグラマグラ」において、赤子は胎内で生物進化の歴史を辿っている、と打ち出しました。
進化の最終地点にいる人間も、幼生時には他の生き物と変わらぬ姿を持っており、成長して人の姿を得るのだ、と。
それを読んで僕は壮大過ぎるマクロと、個人の運命というミクロがガチっとぶつかり合う感じがして感動してしまったのですが、この「マインドゲーム」も似たような構造を持っています。
一人の人間の人生は、人類史のスペクタクルと同じようなドラマチックなものである。
いくつもある可能性を主体的に選び取っていく姿にこそ、そのドラマ性がある。

いやー、熱い映画だった。
でも、主役はまともな声優さんが良かったかも…


疾走し、選び取っていく男の物語。
➼語らってみた『"しゃべろぐ"第2回!お題は「シュタインズ・ゲート」!』

説明なんていらねぇんだ!
➼すべての発情期のサルどもへ『サルハンター』




どぐら・まぐら!








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