Subbacultcha

「サブカルチャー」という括りの下、文学・芸術・漫画・映画等について述べます。

2014年7月24日木曜日

LO2013年11月号・クジラックス、休載前最終作について。 LO from 「凛としてしゃぶれ」



もう一年も前なのですね、クジラックス先生が雑誌に書かれなくなって…。
トーキョーグールのOP観てたら、凛として時雨のボーカルTKさんがソロ扱いで歌っている!何か書かなきゃ、と思い立ったので、「凛としてしゃぶれ」について少し書こうと思います。
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 うわっ酷い、とまずタイトルを見て大喜びしました。
何故クジラックス先生がこれをタイトルとして選んだんだろう、とちょっと不思議に思って調べたのですが、サイコパスの放映時期もずれてるし、バンドとして特に目立った動きがあったようでもないので、単なる言葉遊びか。

もう本当にタイトル通り内容は酷くて、犬の散歩をしていた凛ちゃんに、何だか気持ちの悪いおっさんが近付いて来て、巧みな話術と、おやつとで、凛ちゃんと犬の攻撃意欲を奪い去った上で満足のいくまで「しゃぶらせて」、もう一度自分のことを周囲に言いふらさない様に釘を刺して去って行く、犬はそもそも飼い主が危害を加えられていることにすら気付かず、なんか嬉しそうにしている。

「中年オタク」という弱い者が、自分より弱い者「女子小学生」を攻撃する。
負の連鎖。

そういえば、倉敷の「女児監禁事件」なんて事件がありました。今出ている情報のみだと、女児に実害は無かった模様ですが、ネット上では「連れ去られた・監禁された女児」というワードから性的な妄想をした輩も相当数居たようです。
「なら良かったね」という話ではなく、それが相当数の頭の中に浮かんだ、ということはその妄想は現実に等しい。のです。
ただその言説の正しさはあくまで部分的なものであり、僕は決してその妄想が現実である、などと言うつもりは全くありません。想像出来ることは全て起こり得ることですが、同時に起こり「得る」だけ。今回の事件においても「起きてはいません」。
倉田真由美さんがバンキシャで述べた
「男性が女児と一緒に歩いていたら声掛けした方がいい、もし親子なら勘違いだったと謝ればいい」

などは、完全に倉田真由美さんの妄想の範囲が狭い、としか言いようが無い意見に思えました。まず、「男性と女児」という「性的な組み合わせ」だけが必ずしも注意すべきポイントではないのです。女性誘拐犯だったらどうするのか。身代金や政治目的なら年齢や性別といったものは全てチェックポイントとして無意味なのではないか。自分の存在を人から注意を受けるものではないと除外していないか。
結局より弱い者への攻撃に甘んじた注意の仕方ではないのか。
こうしたことは絶対起こり得ない(たとえば自分は犯罪者には成り得ないといった)という可能性の排除こそが「事件」になるのです。

だから僕は前々から、クジラックス作品を読むべき、とネットの片隅で細々と声を上げているのです。
➼現代における罪と罰『ろりともだち』

「凛としてしゃぶれ」の怖いポイントは、防犯の要であるはずの「犬」が無力化、見ようによっては犯人側に付いた様に見えるところ。ペロペロじゃねぇよ馬鹿!
どう対処して行くべきなのか、これは「子どもが大人より腕力的に弱い」が故にどうやっても防ぎようの無い出来事に思います。それでも可能性をちょっとでも下げていこうというのなら、まず守るべき側である「大人」が、嫌悪感と共に「犯人」の思考システム・方法論を学ぶべきなのではないでしょうか。
ワイドショーなんかで、たとえば万引・痴漢・置引きの手口などを、警察や元犯人が芸能人に教授する、みたいなシーンをよく見ます。結構タメになりますよね。あ、こういう所に抜け穴があったのか、じゃあ気をつけよう、って。…言い辛いんですが、「性犯罪」ってどうやるんでしょうねぇ…?

やっぱ読むべきだと思うんです、嫌悪感を催しながらクジラックス先生の漫画を。
余談ですが、クジラックス先生のブログのタイトルが一時期「ダイエットBLOG」になってました。本作の「犯人」もかなりの肥満体で、結構リアルのクジラックス先生に近い雰囲気なのかな、それ故のリアリティなのかな、とちょっと思ったり。他作以上に「実用性」本位な雰囲気の作品なので、『ろりともだち』を純粋な漫画として面白い、と思った方にはちょっとこれは勧め辛いなぁ、というのが正直なところではあります。

全ての「可能性」を集める話。
➼タイムスキップコメディはSFラブロマンスへ『星屑ニーナ 4』、あと時間ものSFの色々とか





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