Subbacultcha

「サブカルチャー」という括りの下、文学・芸術・漫画・映画等について述べます。

2016年4月25日月曜日

何者にもなれないし、ならなくてもいい。ピンドラ、ピロウズ、『ローカルワンダーランド』

ローカルワンダーランド、福島聡の新たなる短編集、素敵過ぎだわよ。
「健さん 愛してる あんたが人を斬るのを見るのが好き」と寺山修司が高倉健を好き過ぎて女性化してしまったが如く、福島聡作品が好き過ぎて女になっちゃいますよ、オレァ。


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大体全部好きだったのですが、特におっ、となったのがコチラ。
友情とエロの原風景、「エロチシズムの歴史」

最終ページまで主人公が喋らないある夫婦の物語「サンライズ出雲」

投手と鍼灸師の激論・魂のぶつかり合い「精神論2015」

辺境のオタクのプライドと未来と繋がりについて「ストレート・アヘッド」

終わりの始まりの、終わりの始まり「夜明け前」

特にコチラ、って挙げ過ぎだろお前、という誹りは、蛙の面にショーベン。全部良かったんだよ。

でも更に更に言えば、連載表題作となった「ローカルワンダーランド」と、連載開始回「深作慧」があんまりにも心にジュワジュワ来るので、軽く。

マザーグースの「女の子って何で出来てる?」を地でいくような、素敵可愛い扉絵。

深作慧は雨宮にとってとにかく「大事な人」。大事過ぎて喋れない。深作慧は雨宮の描いたパラパラ漫画を褒めてくれた。普通に喋ればただの友達になってしまうから。雨宮は彼女にとっての異物でありたい。

あれから何十年かが経ち、雨宮はおっさんになった。同窓会で会った深作慧は、当時の面影を残したまま、大人の女性になっていた。雨宮は、彼女が独身だ、と言ったことに「間に合った」と感じた。彼はもう妻子、家庭を持つ。…何に?

最後のページ。
わざわざ子どもの時の深作慧と雨宮を持って来て、握手させる福島聡。

ちょうどこの短編と「ローカルワンダーランド」が対になる!と思ったんですが、

一見すると、「ご近所ミステリー」みたいな雰囲気の話。電線から吊り下げられたマネキン、果たしてこれは誰が、何のためにやったのか?を自治会長さんとともに解き明かす事になる少年。
この作品について言及すると重大なネタバレが発生するため、あまり内容をご紹介出来ませんが、要するに「誰かのワンダーランドは誰かの地獄、逆もまた然り」ということ。


何度も引用してる気がしますが、ピロウズの代表曲のような扱いを受けている「ハイブリッドレインボウ」のサビの歌詞。「選ばれなかった僕らでも 明日を持ってる」という歌詞がなぜ多くの人の心に引っかかるかといえば、大多数の人間が「選ばれてない」と思っているから。…何に?



廻るピングドラム」において、何度も登場するセリフ。
何者にもなれないお前たちに告げる」。
このアニメは罪と罰を背負った兄弟が運命を乗り越えようとする話、と解釈してるのですが、兄は妹を異性として愛してしまったこと・弟は犯罪者の親を持ってしまったことを「罪」として考え、更に現状を「罰」と捉えてしまっています。
つまり上のセリフは「罪と罰から逃れられなくては、何者にもなれない」とも取れるのか?

ちょっと「深作慧」に話を戻しますが、「間に合った」てのは遠回りしまくった結果、特別視しまくってた深作慧にようやく雨宮が触れられるところまで来たと思った(思い違いをした)から出た言葉なのですが、
つまり誰でも「運命≒現状」を塗り替えて「理想」へ近づくことを良しとし、日々前進している筈なのですが、そもそもそれが前進なのかどうか。

この二つの短編というか、福島聡作品に大きく流れる二つの思想。
それが
罪も罰も平穏も騒乱も運命も理想も普通も特別も、結局全部自分の見方だったのではないかと気づけるようになること、そしてその気づけるようになった自分が形作られたのが自分自身の選択と行動の結果だけではないと気づくこと」、
描いた理想に着地するのがゴールではなく、ゴールを求めて彷徨い歩いた過程にこそ意味があること
そこが好きで、『星屑ニーナ』も『機動旅団八福神』も、その他の短編集もこの人のが好きなんではないかな、と思ったのです。で、この二個は特にそれをじっくり描いてあるな、と。

で、それをピンドラに適用するならば、「兄弟が周囲の状況まで自分たちの行動によるものだと責任感を感じていたけど、全て思い違いをしていたことを自覚できるようになる物語(故にラストで兄弟と陽毬・苹果は別の物語のキャラクターとなる)」、
ピロウズ・ハイブリッドレインボウに適用するなら、「虹の色が何色あるかとか、何色に見えるとか、そんなのは結局の所『それっぽい答え』しか出せないので、自分自身で『こうだ』と決めた道があればいくらでも未来(明日)があるということ」。
でもどちらも勿論、地獄に繋がってる可能性もある、ということ。

ともすれば夢見がちな妄言になり兼ねない思想ですが、だからこそ、どういう道を辿ってそこへ辿り着いたか、をしっかり描こうとする福島聡さんが、そして結局目的地ではなく、そこへ辿り着くための過程がその人を「何者か」にしている福島聡作品が、大好きなのです。



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