まるでホラー漫画ブログの如き様相を呈し始めておりますが、そういうブログでは無くて、「コレがイイ!」「コレの感想を書きたい!」を貯めておるブログなのですよ、実は!!
ひらのりょうさんの『Fantastic World』、書籍版が非常に良かった・嬉しかったのですが、かなり時間が経ってしまって12月。もうこのマンガがスゴいなんて発表されちゃってますが、気にせず俺はファンタスティックワールドと、加藤伸吉の『惑星スタコラ』完結おめでとうと、アドルフ・ヴェルフリの初日本展が行われてヤッター!を述べていくぞ!!いくぞ!!!
ひらのりょう『FANTASTIC WORLD』。
リイド社が始めたWEBコミックサイト、なーんか違うぞ、と思ってたのは、平方イコルスンが、ドリヤス工場が、高浜寛が、『Gのサムライ』を描く田中圭一が、居た事も勿論「そう」なのですが、
このマンガを見つけてしまったことが、一番の「違うぞ」だったのです。
フルカラーの漫画、フルオリジナルの漫画世界、主人公の片方がどう見ても人外、というか歯だった、滅茶苦茶デフォルメ・滅茶苦茶ファンタジーなのに時折覗かせるリアル過ぎるタナトス。
属性盛り過ぎだ、スゴい。
誰からも影響を受けない(技法的な意味で)絵、「アウトサイダー・アート」を俺が好き過ぎるのは、その圧倒的オリジナリティ故、ということもあるのですが、それ以上に「その人にしか創れない世界に圧倒されてしまうから」という理由が大きいように思います。
→一番アウトサイダー・アート、アール・ブリュットに関するまとめっぽい記事。➼孤独の美学『アウトサイダー・アート 芸術のはじまる場所』
『FANTASTIC WORLD』、俺はその世界に圧倒された。
一見そのデフォルメされたキャラが「ハイハイ、こーいうサブカル系のアレね」なんて早合点しそうな感じに見えるのですが、キャラクターの造型・ファンタスティックな世界とのフィット感は、滅茶苦茶強固な設定に支えられていて、設定との矛盾が無い、強い。
初版封入特典として椹木野衣(この人はあんまり漫画評論には登場しない美術評論家。ってだけでこの作品の異様さがやや伝わるか?)が本作について語る小冊子が付いているのですが、コレはコレで非常に面白いので是非手に入れて読んでもらうとして、問題はその冊子のうしろ。
「『ファンタスティックワールド』典拠・参考とした主な資料」として挙げられている資料、実はひらのりょうさんと同い年のようなのですが、これを見て絶句。
俺、このインプットをこんな風に絶対アウトプット出来ねえ。
銀河ヒッチハイク・ガイド、タイタンの妖女、地底旅行、辺りはまだよいとしましょう。
『遺体鑑定—歯が語りかけてくる』?(おそらく「歯ちゃん」に生かされているのでしょう)
『ユートピアの幻想』?
『武装解除 紛争屋が見た世界』?
極めつけは高橋ヒロシの『クローズ』??(いや、確かに殴り合うシーンはあったけどさ)
これらを咀嚼して出来た、この美しく生々しく恐ろしい世界、「ファンタスティックワールド」。
一見フワッとしたキャラクター・世界観ながら、
ただただキラキラと楽しい訳では無く、死や暴力を内包しています。
物語の初っ端から、当たり前の用に主人公たちに死を与えにくる存在も多数登場します。
また、ロボットやゲーム内に生きる存在、群体から成る神など、命の在り方があやふや故に、逆に命の在り方を問うてくる存在も多数登場します。
それらが、単なる「ファンタスティック」な「ワールド」でなく、
「ひらのりょうが生きて来た結果が反映された存在たち」であるからこそ、ファンタスティックワールドが「世界」として存在しているのです。
全然関係無いけど、「歯ちゃんさん」みたいな名称と三人称混じった呼び名、楽しい語感で好き。歯ちゃんが「歯」故に堅くて頼れる、のもこのマンガを楽しくする要素のひとつ。
ちなみに↑のタイトル画像、WEB連載時には無かったヤツで、何ページかの単行本描き下しによって本編開始のインターバルがあるんですが、
ちょっと話が飛びますけど、俺は「MOTHER」をGBA版「MOTHER1+2」でプレイして、1をクリアして胸一杯の状態で、「よし、2のタイトルだけ観て、今日はもうゲームやめよう。」って思って2を選択して始まる、タイトルコール。
「MOTHER2」って出て、俺は泣いたんです。
泣きはしませんでしたが、あの時に似た感じが、「ファンタスティックワールド」の単行本のタイトルコールを見た時に来た。
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で、加藤伸吉『惑星スタコラ』。
血と詩と凶悪なほどの想像力に伴われた「おっとう」と「小僧」の旅。
3巻発売から3年の月日が流れ、4・5巻の同時発売の間に、1~3巻が絶版に。4・5巻だけが買える状態、となってしまいました。講談社だから、と思っていたのに、再版も電子書籍化もナシ。こんな驚異的で凶悪的な作品を、何故、何故!!!
オリジナルな生き物・オリジナルな技術力(呪力)に覆われた架空の世界での話は、なんだかルネラルーのファンタスティック・プラネットを思い出しますが(って言ったら『ファンタスティックワールド』もか)、けれども重要なのは、この作品が描くのが「架空の世界の話」ではなく、あくまで主人公の親子(疑似父子)「おっとうと小僧の旅」だ、ということ。
巨人と小人、想念と怨霊、魂と呪い、愛と憎しみ、が事実として等しくある世界。
巨人は権力者として体を縮めて社会を支配しており、
魂の力を技術として活用出来るようになったために魂をエネルギーにしたり攻撃の対象にしたり出来るようになり、
結果人々の想いは死後もなお生きるものに影響し、
その様々に産まれる歪みのために、親子・夫婦は引き離され。
合間合間でものすごーくワクワクするギミックが沢山あるのです。
こんなオリジナリティ溢れる世界、見たこと無いぞ、と思わず思う小品の数々。
繰り返しになりますが、でも「スタコラ」はファンタジーではなく、人間を、想いを、魂を描くのです。
おっとうと小僧は、物理的に強固な鎖で繋がれ、その繋がりが「本物」になりつつあるところでそれを千切られ、終盤、また「繋がります」。
で、その「繋がり」が『惑星スタコラ』の世界だけでなく、読者の住む世界にも繋がりを産みます。そのダイナミズム。
このシーン、「おっとう」は果たして誰にこの言葉を伝えているのでしょうか。
俺はあまりに物語が壮大・巨大なところから手元に落ちて来たものだから、思わず泣いてしまいました。
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アドルフ・ヴェルフリ。
アウトサイダー・アートの一作家として、日本でもよく紹介されて来た作家ですが、2017年に初めて日本での全国巡回展が開催されます。
Internet Museum;アドルフ・ヴェルフリ 2萬5千頁の王国
日本へのアウトサイダー・アート(アール・ブリュット)への紹介は、1993年の世田谷美術館・パラレル・ヴィジョン展が大きなきっかけとなりましたが、今回のヴェルフリの巡回展はそれに比する「巨大な展覧会」と言えましょう。
アウトサイダー・アートを前面に押し出した展示としても、2011年のダーガー展ぶりかな?
ヴェルフリは「From Cradle To Grave」(揺りかごから墓場まで)という45巻25,000ページ(量はダーガーの『非現実の王国で』を凌駕)にも及ぶ自伝小説というか探検記というか、超俺つえー小説を書き上げます。
が、それは単に俺つえー、で終わらせられるものではなく、自分の分身を世界中旅をさせ、旅をした地域の街や山の分布図・高度なんかを添えまくり、その挿画として上のチラシ中の図版の如き、曼荼羅、フォークアートじみた細密な画図を描きまくり、終いにはその妄想が高じて「聖アドルフ王国」を作り上げ、『揺り籠から墓場まで』に国家やらの楽譜を添え出します(こちらに掲載された楽曲は、あるヴァイオリニストが研究の結果、譜面に起こされCDまで出ました)。
参考ページ
物語性故、ついつい俺はダーガーに眼を向けがちなのですが、単純なこの物量に会いたい・圧倒されたい、この展覧会は絶対行きたい、のです。
何故か?
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キリスト教の「天地創造」において
神は六日間で世界を作り上げ、七日目に休んだ、とありますが、
世界を創るのは滅茶苦茶エネルギーが要るんですよ。
こうだったらイイな、これもあったらイイよな、と欲望を声にしたり文にしたりするのは簡単なことなんですが、「それを実現するには何が必要か?」を考えるのは一定までは楽しいのですが、ある壁に突き当たると途端に無茶苦茶めんどくさい「作業」と化します。
「整合性を取る」。
モノを創るのに何が面倒かって、「なぜ」を己の中で突き詰め続けられるか、が一番面倒なところだと思うのです。
「何故コレがソウなるのか?」
「何故コレがソレとつながるのか?」
「何故わざわざコレを『形』にしないといけないのか?」
上の3作品というか、3人はそれぞれに全く規模は違うものの、わざわざ「何故」を突き抜けて来た人たち。この人たちは一体何のためにそんなエネルギーを使ったんだろうか?
その答えは読んだら分かる、なんて軽々しいことは言いません、言いませんが、俺は確実にそこにドラマがある、と思うし、そのドラマを見たくて観たくて堪らんのです。多分自分の中には無い・自分には創れないその人の世界に、自分とのギャップに、ショックを受けたい・圧倒されたいんだと。そして、その強烈さの中に、空想の中だからこそ逆に見え易くなる「人間」を見たがってるのかな、と何となく思うのです。
ヴェルフリ展、たのしみ。
極上の空想世界に酔え。
➼『ノドの迷路』がとても楽しかったので逆柱いみり全作品レビューをしてみようと思う
全部嘘でも、何か一つだけ信じるものを。
➼「空気読め」の対極、私は「デクノボー」になりたい『月光条例 18』
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