Subbacultcha

「サブカルチャー」という括りの下、文学・芸術・漫画・映画等について述べます。

2012年7月29日日曜日

上滑り感がよく噛み合う 映画『ヘルタースケルター』観て来た

映画版『ヘルタースケルター』を観て来たので、
簡単に漫画版と比較しながら感想を。
観てから一週間程経ってしまった…

蜷川監督作品を観るのは、これが初めてでした。
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90年代に絶大な人気を誇った(らしい)岡崎京子の人気漫画『ヘルタースケルター』の実写化。
「完璧美人」である「りりこ」を演じるのは、一体誰だろう、と思っていたらえりか様だったので、キャストが決まった当時は吹き出したものですが、彼女の演技は素晴らしかった。正に「演技なのかキャラなのか、分からない」という。
そうした意味では、水原希子演ずるりりこを超えるスター・こずえの超越感、桃井かおり演ずる芸能プロの社長の粘っこさや、窪塚洋介演ずるボンボンの遊び人の軽薄さは、「演じさせるまでも無い」といった、ナイスなキャストセレクトでした。

ただ、多分蜷川映画全般そうなのではないか、って予想なのですが、良くも悪くもショッキングなシーンが多過ぎる。
よいショッキング、部屋の内装の豪華さや、モデルを取り巻く華々しい世界、りりこの美しさの絶対感といった、「絵になるシーン」と、
悪いショッキング、手術シーン、ボロボロになっていくりりこの体と生活、彼女が観る幻覚、と。
良い悪いにかかわらず、ショッキング=派手な画面が多い、全体的にカロリーが高く、観ていると段々胸焼けがしてくる様な
それでそうした見た目の派手さに惹かれてしまって、「内からも外からも失われていくりりこの美=強さ、その恐怖」という主題の、「外」の部分にしか目が行きにくくなってしまう

岡崎京子は「メチャクチャ絵の上手い漫画家」という訳ではなく、だからこそ、ドギツイヘルタースケルターの様なテーマを持った作品でもサラリと読める、という。
絵に生々しさが無いからこそ、際立つものもある、という好例だと思うのです、俺は。

けれども、映像によってどうでも良いところ、例えば手術シーンの針を刺すところや、ラストの目を〜するところなんかに変に生々しさを付随させたりすると、その見た目の印象が先行してしまいます。
逆に、これをそのまま映像化したらまずいだろ、というのが麻田検事の台詞回しであったり、クリニックの存在と手法だったり。

岡崎京子作品の虚しさ・表面的な部分は、とても上手い映像化だと思いました。けれども、それは別段「人を殺すのは良くない」といった誰でも分かっている程度のところであって、そこをより掘り下げられたら傑作だったろうな、と思いました。

あ、でもちゃんとえりか様のおっぱいは観れるよ!窪塚氏との濡れ場は観るとよいと思う!

岡崎京子の別作品。

映像と主題とが、完璧に噛み合ってる、完璧なアニメ映画。









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