Subbacultcha

「サブカルチャー」という括りの下、文学・芸術・漫画・映画等について述べます。

2012年8月30日木曜日

セカンドレイプについて『ロリ裁判と賢者の石』

コミックLO9月号掲載の、
クジラックス先生の漫画『ロリ裁判と賢者の石』がイイ感じに胸糞悪かったので、
感想を。

※ネタバレあり
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ある裁判のシーン。
どうやら、少女に対する強制わいせつ事件、つまりレイプに関しての裁判のようです。

裁判の傍聴自体は無料かつ何の制限も掛かりませんが、人気の高い裁判だと、傍聴券交付手続、つまり整理券が発行され、抽選で何名までが傍聴出来る、というシステムがあります。

この裁判の傍聴抽選倍率は500倍。
異様な熱気(コミケに近しいと思われる)に包まれた裁判所。
一体これから何が始まるのか…?
被害者の意見陳述から裁判が開始。
何故かギャグボール・目隠しを装備した犯人?は十字架に磔にされ、「大型スクリーンを使用するから」との理由で、後ろに追いやられる。
なんだなんだ。


スクリーンに映し出される被害者の少女・みゆちゃんの「日常」。


何故か被害者の少女をさわさわしたり、言葉のナイフで傷付けたりし始める検察官。本来、被害者を保護するべき立場の検察官が…? …きな臭い雰囲気になってきたぞ…

本当に強姦だったのか?と疑問を呈する弁護人。

そして、実際に彼女に手を出し始め、彼女の反応から、強姦ではない、合意であることを引き出そうとする弁護人。
如何にもエロ漫画臭い雰囲気になってきました。
更にそれでは証拠として甘いとして、被告人から押収した資料を提出する弁護人。
押収した資料を、弁護人は大画面のスクリーンに映し出し始めます。
事件をフラッシュバックし、恐慌状態に陥るみゆちゃん。
「こんなの聞いてない!」との彼女の訴えは、この異様な裁判システムの下、全く無視されて進行していきます。

「フラッシュバック」に関して、謎の解釈を行う傍聴席。
フラッシュバック萌えをしている様子。

精神的に追いつめられたみゆちゃんは、裁判長に「ヒーリングキッス」(ディープキスによる、精神安定剤の口移し)を受け、更なる非情な展開に晒されることに。

実況検分。

裁判員・裁判長が「被告人役」として、みゆちゃんを公衆の面前で、犯し始めます。
「被告人役」が複数の時点で、最早、この実況検分が、何を再現しようとするものなのか、完全に目的が破綻してきます。
「なんだ やっぱり犯されて嬉しかったんだ!」
「女の子って そーゆーとこありますから(笑)」
頭のおかしくなりそうなやり取りののち。


参加者・傍聴者たちは賢者に。

賢者と化した裁判参加者たちは、手に手にを握り、「処刑」に入る。
イスラームにおける「姦通」を犯した者への処刑方法です。

 こんな悲惨な、異様な思いをしてまで、みゆちゃんは「死刑」を行わせなくてはならなかったのか。
両親はこの処刑制度を知っていたためか、
「本当に訴えるのか?」「これ以上みゆが辛い思いをするなんて…」
と彼女がこの「ロリ裁判」に臨むのを止めようとします。
そんな両親の言葉に対して、
彼女は「それでもやっぱり 殺したいよ?」と応えます。

ラストのページでは、正に被告に対して投げられる石と、その下のコマでは、新聞に「勝利のアへ顔Wピース」と書き立てられ、目線を入れられたみゆちゃんの新聞記事に対して読者が射精をしているところで終わっています。

主人公の女の子には何の救いも無く物語が進行していく様は、町田ひらく作品と似た読後感がありました。

セカンドレイプ、という言葉があります。

法廷や取り調べで被害者がフラッシュバックを起こしたり、証言・陳述の内容がレイプや性的被害の再現であったりする場合の被害者の精神的苦痛は、第二の性的被害(セカンドレイプ、セカンドハラスメント)と呼ばれて問題視されている。
法廷において加害者側の弁護士が、あたかも「被害者側に原因があった(性的に挑発的な服装や行動をしていた)」かのように弁明したり、被害者側の性的交渉の履歴などを執拗に追求したりと、その法廷戦術が問題になることがしばしば見られる。
また、警察制度において被害者への対応は女性(性犯罪捜査指導官や性犯罪捜査指定官)が行ったり、科学警察研究所などが被害者から聞き取り調査を行ったり、司法制度において「性犯罪の告訴義務期間[4]撤廃」「遮へい措置」「ビデオリンク方式」「心理カウンセラーの証人付き添い」「被害者特定事項の秘匿」など、被害者へ配慮する制度が整備されるなどの改善への兆しはみられるようになってきている。 

Wikipedia - 「性犯罪」の項よりhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%97#.EF.BD.A2.E7.AC.AC.E4.BA.8C.E3.81.AE.E8.A2.AB.E5.AE.B3.EF.BD.A3

レイプ被害者に対して、「注意心が足りなかった」「異性を誘惑する様な態度・服装だった」と、事件発生の責任を問うものをセカンドレイプ、と言います。
イスラム教圏ではこの論理を突き詰めていくことで、「女性が誘惑しなければ、こんな事件起きなかった、悪いのは男を誘惑した女性(の色気)」として、先ほどの投石刑を女性に適用する。
酷過ぎてもう、訳が分かりません。

俺は「起きてしまったことに対して、もっとこうすれば良かった」というのは個人に対しては全く効果の無いばかばかしい話だと思っています。(将来的に同様の事件の被害者を守るための話は、その事件の被害者と関係ない場所でされるべき!)
仮に被害者に何らか事件の要因があったとしても、=加害者の罪が軽減される というものでは無い筈です。

起きたことに対して、どう対処していくか、が常に問題の焦点とされるべきなのです。

故に、俺はこの「ロリ裁判」、ちょっとアリかもしれない、と思ってしまいました。
無論、作中のように「こんなの聞いてない!」となってしまう様な、説明不足は絶対にあってはならないと思いますが、本人が「何が起こるか」を納得の上で、「加害者の処刑」という目的を達成出来るならば、制度としてはアリでは、と。
敵討ち法、みたいな。

とはいえ、この作品の何が気持ち悪いか、何が心に来たかというと、そんなSF的な裁判システムがどうこうではなくて、レイパー=セカンドレイパーが分かり易く可視化されてるところ
だと俺は思います。

裁判の参加者は勿論のこと、マスコミ、マスコミから情報を受ける大衆に至るまで全てが、セカンドレイパーとしてみゆちゃんにダメージを与えている、
つまり、事件と全く関係ないところで、事件を、日々のニュースを、「エンターテイメント」として消費してしまっている自分=セカンド・もしくはサードレイパー を、改めてまざまざと見せつけられたのが、この作品のダメージポイントです。
最後のページに、それを持って来るか。

あれだけ、「見てるだけ それでも君は いじめっ子」といった強烈なコピーで日常的に啓蒙されているにもかかわらず、大津いじめ事件を自分の問題として捉え切れた人はどれほど居たことでしょう。

この漫画を読んだ途端、正義君といった人間に生まれ変わるのも変な話ですが、こうした視点、日頃無自覚な自分の一面を指摘してくれる他者の視点、それこそが私たちが創作物に触れる原初的な意味だと思わされる作品でした。

ちょっと話は変わりますが、つい最近のクジラックスさんのツイートで面白いな、と思ったもの。
ちゃんとした叫び声、しかも「助けて」というはっきりした言葉付きで、5秒超えたぐらいでようやく異変に気づけるというか。これがもし3秒以内で車に押し込まれる等であったら近隣住民は無視する気がする。怖すぎるよ…
自分が女だったら怖くて声でないし痴漢とかでも泣き寝入りするタイプかな…という気はする。ヤンキーに絡まれても同じか。

あんなえげつない漫画を描いているクジラックスさんが、そんな反応を…
でも当たり前に「嫌な感覚」を「嫌なもの」として敏感に感じ取れるからこそ、
うまい具合に「人間の負の部分」を表現出来るんだろうなぁ、と思ったツイートでした。

11月発売の単行本が楽しみ!

クジラックスの衝撃。

「イヴが悪い」なんて、そんな馬鹿げた話あってたまるか。




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