Subbacultcha

「サブカルチャー」という括りの下、文学・芸術・漫画・映画等について述べます。

2012年8月30日木曜日

呑み込まれる世界『海獣の子供 5』

五十嵐大介初の長編作品『海獣の子供』を一気読みしたのですが、
いやぁ凄かった。
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本作は、ジュゴンに育てられ、発見された少年たち、
彼らに出会うことで大きな物語の歯車にされてしまう少女、琉花
彼らを取り巻く大人たち、
そして、各地の神話・伝承を取り込み、世界中の海を巡る、幻想奇譚です。

民族学的テイストで、謎が謎を呼び、どんどん物語の深部に引き込まれてしまうストーリーも魅力ですが、それ以上に「絵」が凄まじいのです。
五十嵐大介の圧倒的な画力で以て、読者は海中へ送り込まれてしまう。

四巻まではそうして、徐々に徐々に海の底へ誘われる様な展開があったのですが、
五巻に来て、「奇譚」であった本作は「神話」へと様変わりをし始め、読者の物語への意味付けを拒否し始めます。
海洋生物たちは何をしに「其処」へ集まって来たのか?
隕石とは何なのか?
海と空、海獣の子供たちは何者だったのか?
琉花は何故巻き込まれたのか?

琉花と共に物語に巻き込まれた読者たちは、空の台詞で吹き飛ばされます。

「これから君が見ることのイミは、君が考えろ。君が一人で探さなくてはいけないんだ。」



そして起きる、この物語の本番は、うーん、なんというか、何が起きてるのかさっぱり分からないものでした。けれども、何事かが起きていて、その何事かに俺達読者は、琉花とと共に目を見開かされてしまったというか、うーむ。
言葉で伝え難いので、是非ともこのラストシーンはご自分の目で見てみて欲しいです。

俺は、自然の本質とは「恐怖」だと考えています。
本作でも度々強調されるように、人間の可視範囲、理解範囲は、地球規模で見たら一割くらいのもんで、残りはほとんど未知。
未知とはつまり、分からないこと、理解の追っ付かないことであって、怖いもの。

二巻において、ある登場人物が喰われるシーンが、一人称視点で描かれるのですが、
俺は本当にそこが怖かった。
漫画でこんな怖い思いをしたのは、日野日出志の『地獄の子守唄』で「この漫画を見てから三日後必ず死ぬ!」って言われた時と、押見修造『惡の華』でブルマを盗んだことを好きな女の子にバラされそうになった時、くらいです。

この、「海獣の子供」というタイトルは何なのか。

その怖いという感情は、そもそも俺が大人になった、知恵を付けた、が為に感じる怖さであって、本来は持っていなかった筈の恐怖なのです。
それが、よく分からないところ、「彼岸」から来て間もない者たち、子供にとっては無い部分。特に、終盤にあたっては、子供=彼岸に近しい者という関係性が前面に押し出されており、俺はヤノマミ族の「子供を精霊にする」儀式を少し思い出しました。
だからこそ、この物語の主人公たちは、子供であり、「海の怖さ」とは隔絶した、いやむしろ彼ら自身が「海の怖さ」であるために、タイトル・主人公達が「子供」である必要があったのです。
その「未知感」が物凄く上手く出ている、漫画でした。素晴らしかった。


民族学的・歴史学的、ロマン。
現代に蘇るロシア皇女・アナスタシア『冬の帝王』『死後の恋』『ドリフターズ』

元来、日本は「民俗学」に溢れていた。
➼日本的空間に痺れる『赤い雪』




 



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