「人生は近くで見ると悲劇だけど、遠くから見たら喜劇だよね」とはチャップリンの言。
人生で起こる一つ一つの小さなイベントの総体こそが「人生」だよなぁ、と
島田虎之介さんの『ラスト・ワルツ』を読んで思いました。
島田虎之介さん、絵柄としては、非常に漫画的に洗練された感じ。
ていう絵柄だけだと、俺はインクの匂いが漂って来そうな程濃い作風の人、藤田和日郎や羽生生純、荒木飛呂彦辺りが好きなので敬遠しちゃいがちなのですが、画風で諦めたりせずに『ラスト・ワルツ』を最後まで読めて本当に良かった。本当に面白い「ストーリー漫画」でした。
一話目「エンリケ小林のエルドラド」。
作者の趣味のフットボールチームのFW・エンリケ小林の話。
彼が祖父から譲り受けたバイク、エルドラド。
そのバイクについての詳細をよく知らなかったエンリケ小林は、たまたま神保町の古本屋でエルドラドについての詳細が書かれた洋書を発見、英文科卒の作者に訳してくれと頼む。
余りにストーリー展開・構成が巧みに練られていて、ここまでの話がフィクションだと俺は全く気付きませんでした。
作者が登場して、実生活?を織り交ぜて語るものだから、読み始めはエッセイ漫画か?と誤読してしまうのですが、実はこの物語は「Secret Story Tour」と副題が付いているように、世界に隠された物語、作者がセカイから掘り起こした物語、それらの虚構の小さな物語を繋ぎ合わせる大きな物語、なのです。
ユーリ・ガガーリンに「地球は赤かった」とコメントをさせ、
「本当の世界」でガガーリンに宇宙進出初の座を奪われた宇宙飛行士を「虚構の世界」で二番目に宇宙に打ち上げ、
チェルノブイリから生還「してしまった」為に「人を救う」という呪いを掛けられた消防士を創り出し、
ブラジルから日本に戻って来た日系一世の叔父の寿命を延ばす。
ここまでの五話は、冒頭一話の「エルドラド」という言葉の様な、何処か遠い歴史の向こうの話、理想郷・黄金郷的な雰囲気があり、「何処か自分の関係無い所で起きた現実」と「過ぎ去った古き良き時代」という手触りを残します。
けれども、六話目「シャングリラのアメリカ人」において、
「理想郷の崩壊」と「この物語が長編であること」が示唆されます。
「過ぎ去った古き良き時代」は嘘だった。
ラストに向けて7話と8話で、物語は「古き良き時代」を引っぺがしながら、一ヶ所に登場人物達を集めます。そして、急激にその物語は「柱の部分」だけが現実に迫って来ます。
そして、一旦物語が締め括られる。
理想郷なんてどこにもありませんが、物語は必ず何処かで紡がれ続けています。
「わたしがこれから語ろうとするさまざまな真実の事柄は、みんなまっ赤な嘘である」
ボコノン教徒としてのわたしの警告は、こうだ。嘘の上にも有益な宗教は築ける。それがわからない人間には、この本はわからない。わからなければ、それでよい。
『猫のゆりかご』カート・ヴォネガット
大事なのは、その物語が本当か嘘か、とか、意味があるか無いかとか、そういったことでは無く、そこからどんな意味を読み取れるかだな、と『ラスト・ワルツ』を読んで思い、ヴォネガットの小説から感じ取った雰囲気を思い出しました。
映画や小説、漫画でクローズアップされない、「主人公達以外」も、描かれないだけで物語を持っている筈なのです。それらの全てはたいそう悲しいし、たいそう美しい。でも、それが「誰かの姿」であり、「自分の姿」なのです。
世界はその集合で出来ている。
是非とも、クライマックスまで読み切った後、タイトルの付けられ方の逸品具合に嘆息を漏らして欲しいです。
プーチンこええ・・・
バラバラになった所から、何を拾って来ようか。
切実過ぎる現実。
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