作品に溢れる文学的雰囲気が大好きな、福島聡さんの描く、胸キュンSF、二巻目。
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タイトル『星屑ニーナ』は、登場キャラクターの「星屑」と「ニーナ」を指します。
星屑は少年の形をしたロボット、ニーナは天真爛漫な女の子。
一巻の序盤で「二人」は出会いを果たし、
愛玩用具として扱われていた星屑に請われて、ニーナは星屑をロボットとして扱う「ご主人さま」では無く、「人間的な」生活を教えてあげる「先生」になってあげる、と約束します。
けれども、人には寿命があり、機械であり、道具であるロボットには経年劣化はあるけれども寿命は無い。
つまり、人は死ぬが、ロボットは死なない。
一巻の終盤辺りで、ニーナとその旦那の死が明確に示されます。
けれども、星屑は「生き」続ける。
二巻では、星屑のメモリーが見せるニーナの映像に恋をする少年・ルイと、彼に出会って惹かれる少女・ポポの間柄が描かれます。
俺が、凡百あるSFという作品の中で、しかもまだ物語の途中段階にある『星屑ニーナ』を名作と言い切ってしまうのは、星屑が徹底して「ロボット」だからです。
アシモフの設定した「ロボット三原則」の順守は勿論のこと、
星屑には全く感情表現がありません。ただ、マスコットの様な、うっすらとした笑みを浮かべ続けるのみ。
色んなSF作品において、「表情」を浮かべられないロボットに、作者は代替する表現、たとえば顔に雨が降りかかる様を涙の比喩表現として用いたり、動かない体で亡くなった主人の命令を必死で実行しようとしたり、人間の表情を真似し続けて最後の最後で本当に笑えるようになったり、といったある種「くさい」表現を施します。
それはそれでいいんです。
でも、本作においてはそうした比喩表現すら省かれて、星屑には記憶だけが蓄積されていく。
タイトルにまで出て来るニーナは、あっさりと時の流れに殺され、星屑の周りの人間関係は、そうしてただただ流され、消えていく。
でも、それを表現する機能、感傷や悲しみや孤独の辛さ、それらが星屑には全く無い。
感情表現が無いからこそ、読んでいるこちら側は勝手に「星屑の感情」まで背負ってしまって、切ない作品なのです。
本巻において、星屑までもが最期らしき場面を描かれます。
「タイム・スキップ・コメディー」と帯に題される本作。
それは時系列通りに進む、素直な物語ではありません。
星屑が、その最後に口走っていたぴっぴちゃん(まぁ予想は付きますが)とは誰なのか、前巻でもちょっと出て本巻でもちょっとだけ出た熱帯魚屋の店主の正体は。
星屑は終わった。けれども物語は続く。「星屑」も、「物語」も、ただ在る。
荒れ狂う様な感情表現が溢れる漫画作品、たとえば『ワールド・イズ・マイン』であったり、『からくりサーカス』であったり、それらも勿論「アリ」です。
けれども、それらの作品と違って、多分福島聡さんは距離感を持ったまま、感情的に描ける作家なんだろうな、と思います。
福島さんの前連載作品『機動旅団八福神』において、主人公達が最終巻で辿り着いた心の境地が、物語になったような。そんな作品が『星屑ニーナ』です。
星屑もニーナも含めた、登場人物全てが可愛いのも素晴らしい。
この巻を読めば、ルイくん、ポポさんの関係性にキュンキュンくること間違いなし。
感情表現が無いからこそ、伝わる感情。
星屑もニーナも含めた、登場人物全てが可愛いのも素晴らしい。
この巻を読めば、ルイくん、ポポさんの関係性にキュンキュンくること間違いなし。
感情表現が無いからこそ、伝わる感情。
福島聡とは違って、ものっすごいキャラクターに接近して漫画を描いてそうな人達。
➼藤田和日郎の描きたかったドラマはココに在る『月光条例 14』
➼「悪者」について思う所 『悪虐』、『悪人』、『ザ・ワールド・イズ・マイン』から
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