しりあがり寿さんのややファンだったので、
広島市現代美術館にて開催中の、
しりあがり寿さんと秋山祐徳太子さんによる合同展「ブリキの方舟」に行って来ました。
やじきたとか持ってるので、何度も文字で名前を見ている筈なんですが、
「しり」と「痔」があまりにもフィットする組み合わせで、中々自分が間違っていることに気付きませんでした…
で、しりあがりさんは漫画家としてよく知っていたのですが、
秋山さんに関しては全く知らず。
どんな展示が在るのだろう、とワクワクしながら向かいました。
秋山さんの作品。
「安芸の佛」だったかな。
・・・正直な所、僕はあんまり秋山さんの作品にグッと来るところはありませんでした。
彼の行った活動に関する動画が観られるところがあったのですが、彼はやはりパフォーマーだな、と。この「安芸の佛」のように、今回の彼の展示作品のほとんどはブリキ製のヒトガタ、過去に創ったのを全部持って来て置いてあるんかな、と思いきや、美術館の公式サイトのインタビューからするとこの展示のために直前に全部作っている! 故に、この出来たモノを見てホー、とか言うもんではなく、(美術的価値としても微妙なところでは?)この「ブリキの方舟」展そのものが、「ハプニング」なのかな、等と思いました。
で、しりあがりさんの作品にはかなり衝撃というか、ダメージを喰らいました。
記事のトップ画像に配置した、
「世界遺産を巡る、チクビ真っ黒族と股の辺りキラッ族の戦い」というインスタレーション。
美術館の様々な所に置かれている、二人一組のこいつら、乳首のところが真っ黒になってる「ちくびまっくろ族」とおまたの辺りが赤いシールでキラッとなってる「股のあたりキラッ族」が、合戦場のようなSEをバックに、世界遺産が描かれた部屋の中で、グルグル回っている、という作品。タイトルからしてもう、ひどく抜けた感じなのですが、全936個所もの世界遺産が描かれた戦場で、バカバカしい格好をしたマネキンが、グルグル回るという馬鹿馬鹿しい光景が、観る人を脱力させる筈。
この世における争いの全てが、
「どや、俺の乳首、こんなに黒いんやぞ!!」
「なにいうてんねや!!俺の股間の辺なんか、ピッカピカやぞ!!」
みたいなもんなんじゃないか、アホらし、と思わされる、脱力感とスケール感。
人間の動きと、津波で打ち壊される街とをそれぞれトレースした動画が、交互に映し出される映像作品。
最初に、しりあがりさんが書いたおやじが、顔だけ残して滅茶苦茶ぬるぬる動く、というシーンを笑ってしまったものの、次に出て来たシーンは津波によって破壊される街。おやじ。街。おやじ。
絶句。
これは笑っていいのか?
街が破壊されるシーンを観て、悲しい気分になるべきなのか?
いや、そもそもこのぬるぬる動く顔だけ漫画っぽいキャラのシーンにはなにかの暗喩が?
いや、そうじゃなくて、こっちの津波のシーンのような悲劇を、笑い飛ばせってことか?
え?どういう意味の作品だ?え?
と悩んだ挙句、ひとつ思い付いたのは、
地震報道直後に、なんの実害も受けず、ニュース報道を見ていた自分のスタンス。
「なんの関係も無かった事件」の筈なのに、何かを楽しむ事・前向きに何かを実行しようとする気持ちに対して、変に罪悪感というか、戸惑いのようなものがあった。
その時の何とも言えない、いやぁな感じが、在る。
しりあがりさんのこれまでの作品を全部ごちゃごちゃにどかー、っと置いた部屋。
そういえば、こんな光景を去年見た。
あ、石巻市だ。
あの街を見た時、僕はどんなに一生懸命に作って来たモノ、積み上げて来たモノも、一瞬で全部グチャグチャになるんだ、ということを肌で感じたのです。
本来、二人が作ろうとしていた企画展が、その制作途中で3・11が起こったことにより、
方向転換した結果が「コレ」なんだそうです。
なるほど、馬鹿馬鹿しい。
けれども、その馬鹿馬鹿しさの上には、何かがずっしりと乗っかっていて、「同じ時代の人間が、何かを表わそうとした」形跡が、ありありと見られます。
終了までもう少しではありますが、時間と都合のつく方は、訪れておいた方が良いと思います。
特に、「広島」という「3・11とは関係無かった人たち」が、それを自分の体験とするために。
秋山祐徳太子+しりあがり寿 ブリキの方舟 - 広島市現代美術館
9・11文学。
➼混沌の中から拾い上げるという強さ『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』
3・11の傷跡。
➼非日常との同居『石巻市をぶらぶらと歩いてみた』
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