Subbacultcha

「サブカルチャー」という括りの下、文学・芸術・漫画・映画等について述べます。

2014年12月4日木曜日

「人間」の定義『楽園追放』『ハーモニー』『星屑ニーナ』

『楽園追放』、観てきました。
設定が少しだけ難解ながら(ちょっと説明不足というか、細かい点は置き去りにしてるというか)、非常に分かりやすく面白いエンタメSF作品でした。
アンジェラ・バルザック三等官ちゃんかわいい!!くぎゅうううううう(急性釘宮病)

※ネタバレアリ
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パンフは購入してないので、作品からのみ得られる情報です。
まず、この「楽園追放」の世界には3種類の「人」が登場するのですが、

ディーヴァ
電脳世界。タイトル中の「楽園」はこれを指す。人口爆発とか大規模な疫病?とかで地球にはもう住めない、と判断した人たちが、大気圏外に作ったスペース。基本的に住人は全て「意識をデータ化した存在」であり、肉体は一応存在しているものの、生後一歳未満で成長は止められ、あくまで単なる器として保管されている。
「人間」としての優先度が「肉体」<「データ化してある意識」のため、ディーヴァ外で活動する際の肉体は、急速成長・コピーアンドペースト・なんならロボットに直接意識を書込んで操作、と、オリジナル、コピー問わずかなり軽視されている世界。
ディーヴァ社会内において功績を上げることで、個人は使えるデータ領域を拡張したり、より密度の濃いプログラムを組んだり出来るので、食欲・肉欲・物欲などで争う必要が無い代わりに「如何に他者を上回るか」が行動の基本概念になる。
何故か地上に降りて来たディーヴァ捜査官は全て女性だった。
アンジェラ・バルザックはディーヴァの捜査官。

地上人
人口のほとんどがディーヴァに上がってしまったにもかかわらず、己を電脳化せずに地球に残り、その過酷な環境と戦いながらなんとか暮らしている「変わり者」たち。ディーヴァ民からすれば「旧人類」。
電脳化してないせいなのか、地球が滅ぶ寸前までいったせいなのか、視聴者がこれを観てる現代からしても前時代的な生活。ディーヴァと技術格差が起き過ぎていてヤバい。その割に、ディーヴァから降りて来たロボットが故障した際に、技術を盗み取ろうとする素振りも無く単なる「貴金属」として売買していた。
何故かほとんど女性が居ない。(劇中でまともに出て来た女性は行商の老婆だけだった)
ディンゴは地上人の監視官・補佐官として、アンジェラの任務遂行を手伝うことなる。

・フロンティアセッター
ディーヴァに対して、「外宇宙を共に探索しよう」というメッセージを違法回線を使用して提示、住人達を不安に陥れていた、謎の存在。ディーヴァ内に該当する発信元が無いため、地上を捜査するよう、アンジェラ捜査官は地上に派遣されてくる。
その正体は自我を持った自己進化プログラム。元々は工業作業用のAIだったものが、自己進化を繰り返すことで、「人類の生存圏を広げるための外宇宙探索」を自己の存在意義として発見する。プログラムながら「好き」「面白い」といった感情・思考を自己の中に持ち、理解することが出来る。
プログラム存在のため、実体は持たない。

という「三者」の視点から、「人間とはなんだ?」をメインテーマに掲げたSF作品、と解釈しました。

アンジェラ・ディンゴ・フロンティアセッターの3人のみの関係性においては、「人間とは、姿形に関係なくお互いに何かしら分かり合えるところがある知性体」として定義された、のですが、アンジェラの上司、ディーヴァの上層部においては、「フロンティアセッターは暴走したプログラムであり、ディーヴァ世界を破滅させかねない危険な存在なので、アンジェラはそれを破壊しなさい。出来ないならお前クビ」と意見の齟齬が生まれてしまったので、こういう映画を観に行く人が大興奮の、ラストのロボット編隊とのアツいロボットバトルに繋がってしまいます。
ロボやミサイルの動き(板野サーカス!)もさることながら、釘宮さんの叫びとかもう、すっげぇ素敵でした。で、そのロボット編隊の人たちがくぎゅにやられる時の声が、モブのくせにヤケに印象的だなー、と思ってスタッフロール観たら、セーラームーンとコナンと綾波レイがモブ扱いにワロタです。

で、観ながらなんとなく「人間とはなんだ?」の問いかけに対して
伊藤計劃『ハーモニー』










福島聡『星屑ニーナ』のことを考えてました。

『ハーモニー』において、人間は「医療分子」と「個人用医療製薬生成システム」と「WatchMe」とに「常に体内を監視されること」で、健康を得ています。そうして作り上げられた「ユートピア」は楽園追放の「ディーヴァ」に似通った点があります。

たとえば「フロンティアセッターは対話可能な存在であり、一方的に破壊・殺害していい存在ではない」と報告したアンジェラを、「思想的異分子」として分離・禁固刑に処したディーヴァ上層部。

『ハーモニー』の主人公達は、「常に監視されている社会」という構造に気付き、その中で生きる自分たちに空しさを感じて、「自殺」を選ぼうとするのですが、リーダー的存在のミァハだけが死に、生き残ったトァン・キアンという二人の少女は大量の投薬・セラピーを受け、「常に監視されている自分たちの状態が良く無いものであると思う」思想を無理矢理矯正されてその後の人生を歩むことになります。

「理想郷」と呼ばれるものは「多数の理想」⇒「多数の合意」によって成立するものですが、それはつまり「少数」≒「個人」を切り捨てて成立するものです。切り捨ててしまったときに、集団は「人間」から「社会」へと変貌を遂げてしまうんじゃないか。で、その切り捨てが強化されたものが「理想郷」になるんじゃないか、と思ったのです。

『星屑ニーナ』は、人間に捨てられたロボット・星屑が、たまたま出会ったちょっと変わった女子高生ニーナを起点に、様々な時代・人間と出会って、成長して行く物語です。
星屑とニーナのファーストコンタクト時、ニーナは星屑に対して「死なないヤツなんてッ 成長しないヤツなんてイヤよ」と、星屑の主人になることを拒みました。
そう、人間ではなくロボットを使用する時の利点として、「変わらないこと」があるのです。ただ、それは人間関係においては汚点として取り上げられる部分でもあります。

けれども、人工生命体やプログラムのような存在も、何か一つの目的を最適化していこうとしていく中で、人間のように変化する部分があるのではないか、というSF的思考の延長線上にあるのが、楽園追放のフロンティアセッターであり、星屑ニーナの星屑なのです。

では、変化して・進化していく人工知性は、人間なのか?
ここら辺が、定義として非常に難しいところになってきます。直接フロンティアセッターと関わったディンゴとアンジェラは、フロンティアセッターを人間である、と認めたものの、ディーヴァは「ディーヴァ社会の存在を揺るがすもの」として、認めなかった。特に実体を持たないディーヴァ社会にとって、「電脳生命体」と「人工知性」が対話可能な知性である、と認めてしまうと、「社会としてのアイデンティティー」が無くなってしまうから、かな、と思いました。つまり、それは「合意によって成り立っている社会の根本の、『合意』の部分を突き崩す可能性」であったから、だと思うのです。

どういうことかというと、「ディーヴァ」という世界を、その外に居る地上人のディンゴが評価した際に、「功績を上げてデータの使用領域を奪い合う社会は、結局楽園じゃなくて、監獄みたいなもんじゃないか」と。
人間をデータ化し、肉体の縛りから解放されて、精神的快楽を求め続ける自由を手に入れた上位存在が「ディーヴァ人」だったはずが、人間に作られたはずの「フロンティアセッター」のハッキングを上回ることが出来ず、翻弄される。自由に動き回れるフロンティアセッターと、個人は割り当てられた分の中で充足しなくてはならないディーヴァ。
俺だってそんな状況怖いです。自分の部屋の家具だと思っていたものが、突然喋り出し、俺以上の怪力を発揮して、俺を叩きのめして部屋の主になったら。(喋れるとしたら、ですが)「俺の部屋」という空間は、「俺」と「俺の家具」の同意の下で成立しているのですが、「俺の家具」が自我を持った場合、「俺の家具」は働く必要も無いし、ややこしい些事に囚われることも無く、ただ自分の思う様に自分のやりたいことをやって暮らす。でも俺は食費や家賃を捻出するために労働、他人と関わるなどして面倒。もうヤダ。みたいな状況が産まれたら発狂しそうです。

話が逸れましたが、つまり、人は怖いから集団を作り、社会を作るのです。
それを恐れず、他人の変化や違いを受け入れ、対話することができる強さこそ、人間である、ということではないでしょうか。上の方で「人間とは、姿形に関係なくお互いに何かしら分かり合えるところがある知性体」と「何かしら」と書いたのはつまりそういうことで、その部分的にでも分かる分かる、という許容こそが、人間を人間足らしむのです。
許容出来ないとき、人は集団を作り、社会を作る。社会を作り、規則を作り、何か非人間的な巨大な怪物と化していくんではないか、とアンジェラとロボット編隊や、ディーヴァ上層部との戦いを観て思いました。

いや、でも捜査官が女だらけだったり、地上は男だらけだったり、地上が男だらけで女に飢えててアンジェラちゃんを襲った強盗三人組がエロ同人みたいに!ってなるのかと思いきや強姦魔なのか強盗なのかよく分からんかったり、なんでや、って箇所も何個かありました。

あと、アンジェラがディーヴァの価値観から外れてしまったから仕方ないのかもしれませんが、アンジェラ以外誰一人としてディーヴァの人間がフロンティアセッターに同意しなかったこと・別にアンジェラ側に同意するわけでもなく本当に単なるモブだったのに襲いかかって来た捜査官たちが意味有りげに豪華な声優陣だったこととか、世知辛いなぁ、とモヤモヤする感じも残りました。
「今回の一件」という、今回限りのレアケースとして、ディーヴァ社会には記録としてしか残らないことを考えると、結局「人間」は個人の力ではほぼ「人間」であり続けることは出来ない、本当に優秀な一握りの人間しか社会から抜け出すことはできない、という絶望的エンド、ともとれました…。(虚淵脚本だからなのか!!)

SFは勢いなんや!
➼キルカ、キラレルカ。「キルラキル」について触れながら語る『カエアンの聖衣』

好きだからってちょっと書き過ぎて読み辛い
➼タイムスキップコメディはSFラブロマンスへ『星屑ニーナ 4』、あと時間ものSFの色々とか






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