Subbacultcha

「サブカルチャー」という括りの下、文学・芸術・漫画・映画等について述べます。

2010年6月20日日曜日

グラグラな社会とグラグラな僕のまんが道


 

僕の小規模な生活などのエッセイ漫画で有名な福満しげゆき初の活字本。
 
 ダウナーな生き方はあんまり良くないと思います。食う為に生きる、引いては死ぬ為に生きる事に繋がりかねないからです。でも、ダウナーな創作物はアリだと思います。製作者にとっては問題を新たに捕え直し、その解決のきっかけになり、受容者にとっては共感から孤独感を薄れさせたり、同じ問題でも違う視点が有る事を発見したり出来るものに成り得るからです。絶望を描いてるはずなのに、作ってる側・受け取る側共にメタ的には希望を得ちゃう。

 で、福満さんの漫画の主人公達はスターシステムというか、ほとんど同じ様相・性格を持っていて、エッセイの方もほぼ同じキャラで自分を描いてるので、ある程度作者自身の姿が投影されてると思われるのですが、こいつらと来たら、大抵、自分に積極性やコミュ力が無いせいで上手くいかなかった物事を他人や境遇のせいにしてそれを恨む、という素晴らしい社会不適合っぷり。でも、すごく内省的で、落ち込み易く、憎めない。欲求があるのに、うまくそれを実現出来ない。悲喜劇的、チャップリン的なのだと思います。

 僕の家はそんなに貧乏では有りませんでしたが、それでも自分より何かを持っている人が羨ましくて仕方ありません。能力、容姿、人間関係、金銭。福満さんはそうしたもの全てを少しでも自分より持つ人間に嫉妬し、起爆剤としています。誰でも持っている欲望、嫉妬を包み隠すこと無く描く所にこの漫画家の魅力があります。
 
 無論、それらを満たしながらも素晴らしいものを作り上げた人達は居ます。三島、芥川、太宰。何故「持つ者」にも関わらず、彼らが作り上げたものが素晴らしいか。僕は彼らがそうして持てる物に価値を見出さず、追求し続けたハングリー野郎だからだと思っています。
 常に飢えている事、飢えが巨大である事。境遇や生き方ではなく、それをどれだけ内に秘めているかが、その作者の創作物の魅力を決定するものではないでしょうか。福満さんの漫画には、そうしたハングリーさに満ち溢れています。極めて優れた内省的漫画家。しかも分かりやすい。 


 漫画の方でも度々ネタにしていますが、福満さんがどれだけうじうじした青春時代を送って来たか、社会にどんな不満が有るか、どれだけ満たされてないか、が延々書き記されています。正直漫画でやった方が良かったんじゃないかなーと思います。しかし、彼の漫画を読んで共感してしまった非リア共は、改めて彼の文章に直に触れる事でニヤニヤしたり、もにゅもにゅしたり、もりもり出来たりするのではないでしょうか。
 長々と書きましたが、ファンブックだと思います。漫画を未読の方はまず彼の漫画を。


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