留学してきたやつって、どうもムカつく。
それは海外経験のない僕の嫉妬フィルターもあるのでしょうが、
「やっぱ日本は狭いねー。アメリカでは~だったよー」
といったテンプレのような馬鹿は居ないまでも、
海外に一か月行った程度で人間レベルが上がったように言う奴が必ずいる。
ほんで、英語が喋れるだけで物凄い得意げになる奴。
『だけ』じゃなくて努力の結果だから威張ってもいいっちゃあ良いんですが、
小学校からの英語教育反対派の中でよく言われる「自国の文化もまともに習得してない奴が、他国の文化から学び取れるもんなんか大したもんじゃねーだろ!」という言説に僕は大賛成な訳です。
「言葉」の中には、思想・思考が自ずと含まれる訳で、
日本語の中に生まれ育ったからには、どれだけカバーしようが「日本語人」であり、
英語の中に生まれ育ったからには「英語人」なのです。
そうした僕の留学経験者への何となくのイライラを、リービ英雄さんは見事に形にしてくれています。
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僕にとってリービ英雄さんは「高校の時教科書に出てた人」であり、「万葉集を英訳した人」でしか無かったのですが、後者の方で僕の語学嫌いを何とか治癒するのに役立つんじゃないか、と覚えていた人です。
今回「筑摩選書」発刊によって、初めて著作を読ませて頂きました。
「英雄」と名乗っていてもこれは「小泉八雲」みたいなペンネームであり、彼は生粋のアメリカ人です。
敗戦後、日本人はどうしても「アメリカ様」のイメージを取り払えず、ここまで生きてきたと思います。何の躊躇いもなく英語で喋りかけて来る観光客に対し、堂々と日本語で対応できる日本人がどれ程いるでしょうか?こちらが旅行に出かけても誰も日本語で返してくれないというのに。
にもかかわらず、リービ英雄は母語の英語ではなく、周辺言語たる日本語で書く。
本書はそうした彼の自伝的エッセイです。
外から入り込んで来た、日本の作家。
『万葉集英語抄訳』を携えて日本にやって来た若きリービは
春過ぎて夏来たるらし白妙の衣乾したり天の香具山
の香具山を実際に目にして、訳の中で「hevenly Mt.Kagu」と表現されているのと違って、
単なるHillではないか。と失望する。
無論、ただ失望するだけでは終わらないのですが、その「入り込んで来た人」の視点というだけで、もう、面白い。
自分で当然の如く読み流している文字を、第三者的視点で見つめるとこういう風になるのか、という感動が、実に美しく読み易い文章で表現されています。
三流大の自分ではとても太刀打ち出来ない文章力。そもそも文章で食べている人に対してこんな事を書くのが失礼極まりないのですが、下手な日本人作家の何倍も文章が上手い点に、作者がアメリカ人であることなどモノの一ページで忘れてしまいます。
本書を読み進めていく内に、言語はただのツールではなく、世界である事・歴史である事・人格である事が理解できるようになってきます。
極稀に「歴史研究家」「地域研究家」の中に対象地域の言語を理解出来ないにも拘らず、誰かの書いた文章を元に研究をしている方々がいるそうです。果たして、彼らはこの本を読んだ後でも研究家を名乗る事が出来るか。
言語を学ぶ事、それはつまり思想や体系にまで至ってこそ意味のある行為なんだなぁと思いました。
よーし、冬休みにはアメリカか中国、どっちか絶対行こう!という気分になりつつも、やっぱ語学習得ってしんどいんだな、やだな。等と。
レトリックが面白い小説。
➼言わないこと、言えないこと『ふたりの証拠』
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