Subbacultcha

「サブカルチャー」という括りの下、文学・芸術・漫画・映画等について述べます。

2011年6月10日金曜日

明治化物草紙『ラスプーチンが来た』



人間は何故か「自分のよく知ってる事」を他人と共有出来ると快感、という知識共有欲求みたいなものがあって、
例えば嫌な上司の細かい動作について皆で愚痴ったり、
地元がテレビで映し出されたのを見てテンションが上がったり、
細か過ぎて伝わらないモノマネを見て爆笑したり。

「知ってる事」が出て来ると、何だか嬉しくなってしまう、そんな性質があります。
何なんでしょうね、アレは。

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山田風太郎の著作『ラスプーチンが来た』。
明治期の日本にラスプーチンが来る、その間の「大津事件」、その周辺状況を描く、という山田流if明治時代小説なのですが。
スーパーロボット大戦、もしくは平野耕太の『ドリフターズ』みたいな状況を思い浮かべてもらうと分かり易い。

登場するのはタイトルにもあるようにまず怪僧・ラスプーチン、
それから大津事件の主要人物達・ニコライ二世、児島惟謙、津田三蔵、
ほんで二葉亭四迷、乃木希典、内村鑑三、アントン・チェーホフ、ニコライ大教主、下田歌子(下田宇多子)、飯野吉三郎(稲城黄天)、川上操六
カメオ出演に川上音二郎、谷崎潤一郎、正岡子規、夏目漱石、森歐外、津田梅子、ベルツ、
ともうやり過ぎ感が漂うほど、明治の化け物どもが一堂に会している小説です。

で、これらをまとめて主人公となるのは明石元次郎。
ロシア革命を先導したとか何とか言われる、実在した日本のスパイの大家である軍人。
まぁ広く知られるスパイが果たして名スパイなのかどうかはよく分かりませんが…。
天衣無縫・怪男児・快男児の彼の、明朗なヒーローっぷりは痛快。
とても合理的かつ理性的、でも既存のルールに縛られない、色々と無精で汚ない。
南方熊楠のイメージとダブらせながら読んでいました。

勿論、チェーホフとラスプーチンが出会ったという史実はありませんし、
ラスプーチンが日本に来た記録もありません。
しかし、山田風太郎の手にかかればもう、同時代人ってだけで「関係性があるもの」として、上記の人物達が全て一つの物語の登場人物としてまとめ上げられるのだから凄い。

ただ本当にカメオ出演の人達はちょびっとしか登場シーンが無い為、
一番最初に挙げた「あっ!この人知ってる!」という喜びを盛り上がらせる素材くらいに考えておいて下さい。
僕は夏目漱石と正岡子規の登場シーンで、ほんの4、5行の描写ながらしっかりキャラクターを感じられてニヤっとしました。
どのキャラクターも非常に生き生きと描かれ、司馬遼太郎が日本人の竜馬観を決定してしまったように、色んな歴史上の人物達がこの小説によって読者に固定イメージを与えるかも。

大筋のストーリーとしては軍人・明石と稲城黄天との、そして物語後半ではラスプーチンとの戦いとヒロイン・竜岡雪香とのロマンスが描かれます。
それだけであれば、如何にもな「伝奇小説」「時代小説」でしかないのですが、きちんと思想性が滲み出ている所が、ちゃんと「文学」しています。

例えばラストの描き方。
単なる伝奇小説であれば、明石がラスプーチンを倒して、雪香と明石が結ばれて良かったね!というハッピーエンドでも良さそうなモノを、この終わり方はまるでその後に続いて行く国勢、世界情勢を反映したかのよう。
化物共が横行し、くるくると日本や其れを取り巻く世界が急速に変化し、とてつもなく「面白い時代」であった筈の明治が、何故その後の「暗い日本」へ続いて行くのか?
歴史観を踏まえると、ラストの描写も少し見方が違って見えるのではないでしょうか。


また、ヒロインの「聖女」としての描き方。
それは作者なりの女性への神秘性・強さに対する信仰の形であったり。
「穢れ無き乙女」だからこそ、竜岡雪香はこうならなければならなかった、という結末にも思えます。

山田風太郎は忍法帖シリーズしか知らなくて、エンターテイメント性の強い作家という印象が強かった。勿論、この小説も有り得ぬ人物同士の邂逅、そもそもスーパーロボット大戦のようなそれぞれの人物に対するファンへのサービス的出演、エンターテイメントバリバリです。
しかし、山田風太郎≒エログロという僕の勝手な山田観に、この小説はセンチメンタルという属性を付加させてくれました。

上にもリンクを張った、平野耕太の描く「ラスプーチンが来た」。
➼至高のリライト『ドリフターズ』


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