Subbacultcha

「サブカルチャー」という括りの下、文学・芸術・漫画・映画等について述べます。

2011年11月16日水曜日

ターセムに「300」作らせてんじゃねええええ『インモータルズ-神々の戦い-』

ターセム監督は、本当に美しい絵を描くのが上手いなぁ、と観る度に感動するような監督です。
しかも、その美しい絵が、動くんです。
僕がアニメや映画に求める快感は「コレ」なんです。

『ザ・セル』も『ザ・フォール-落下の王国-』も好き過ぎて、
そのターセム監督がギリシャ神話描くとか、これはもう面白くならざるを得んだろ、と公開4日目という自分にしては結構早い段階で、ものっそいワクワクしながら3D版を観に、レイトショーへ向かいました。
「インモータルズ」はギリシャ神話における英雄の一人、テセウスを主人公として、ややその物語を戦史風にアレンジしたストーリー。

流石神話、ストーリーの整合性とか不条理具合とか神様の自分ルールっぷりとかね、もうマジ半端ない。
まぁそれは良いとしましょう、元々のギリシャ神話に限らず、神話とは不条理で無意味で、エロくグロい、だが、だからこそ無理を通して道理を蹴っ飛ばすダイナミズムがあるのですから。

でも、その「戦史風」のアレンジが良くない。
原題に付いてなかったサブタイトル、「神々の戦い」という割には
あまりに神々の戦いのダイナミックさが無い

神々が力を振るうシーンが幾つかあるのですが、
何故それをもっと重要なシーンで使わない?とか
そのやり取り、まんまモンスターエンジンのあのネタじゃね?とか
ゼウスさんが一番その力具合発揮してるの身内殺しのシーンじゃね?とか
ゼウスさん自分の娘贔屓し過ぎじゃね?とか
ゼウスさんもっと雷とか使ってもよくね?とか

いや、もう大体ゼウスさんが悪いのかもしれない

で、本来神話の魅力とはそうした「重箱の隅」をどうでもよくさせるような、「壮大さ」にあるのであって、断じて、「人間本性の尊さ」「物語の精緻さ」「現実世界の理不尽さ」「人間心理と世界の果て」、そうした文学的命題、いや、近代文学的な命題を、神話中に見出そうたって、無理です。

ターセム監督の魅力とは、
現実には見る事の出来ない壮大さ、つまり文学で求められる
「人間心理」と「世界の果て」という二つの壮大さを巧みに映像にしてみせる所、だと思うのです。

落下の王国の予告。



ザ・セルの予告。



にもかかわらず、今回は『300』のスタッフが総力を挙げているらしく、
そのスリーハンドレッドらしさ、人間の肉体美、格闘アクションの血沸き肉躍る感じ、猛烈なスピード感、これらが映画のスケールを小さくさせてしまい、「重箱の隅」を感じさせてる。ターセム監督の持ち味を殺してしまっているのです。
300は面白かった。ヒットしましたね。
でも、ヒットしたからって、アクション監督じゃないターセムに、続き作らせてんじゃねええええええええええええええ
 
あ、でも落下の王国でも活躍を見せてくれた日本人デザイナー、石岡瑛子さんによるコスチュームデザインはキレッキレでした。
映画公式サイトで壁紙配布されていた、戦いの神アレスさんのあまりのデザインに「うおおおおおださかっけぇぇぇぇぇええええアレスさん!」と即ダウンロード壁紙設定したにもかかわらず、出番あれだけってマジっすか…
 
あと、ミッキー・ローク演ずるハイペリオンさんの無意味な残虐さには目を覆うものがありました。園子温『冷たい熱帯魚』をおもっすっれぇぇぇって観た俺が、だぜ?
このいやぁーな残虐っぷりも、「壮大さ」を奪う悪要因になっていたかと思います。
・・・ファンタジー好きな女の子なんかを誘って行く、デートムービーには最高ですよ!(暗黒微笑)
 
本作トレーラー。


なんでトレーラーにまで入れてるそのシーンがそんなに短いんだよ!ほぼ全部トレーラーに入っちゃってるじゃねぇか!そのラストシーンこそが、ターセム監督の真骨頂だろうが!!


ふぁんたじー、ってなんですか?
➼テイルズ・オブ・画太郎・ファンタジア『ミトコン 1』


記事内容とはあんまり関係ないけど、会田誠による装丁がカッケェ!


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