Subbacultcha

「サブカルチャー」という括りの下、文学・芸術・漫画・映画等について述べます。

2016年10月13日木曜日

高港基資『雨の訪問者』(稲垣みさお「鬱の家」)



高港基資『雨の訪問者』(稲垣みさお「鬱の家」)
怖さ:☆☆☆
造形:☆☆☆
状況:☆☆☆


☆満点作品です!

高港基資さんは『顔を見るな』というホラー漫画単行本を出し、その間もコンビニ本で描き続けていたものの、『恐之本』で一躍ホラースターダムに駆け上がった作家さん。

一見実録ホラー風の語り口ながら、というか実際実録ホラーも多く手掛けているのですが、その中にちょいちょい創作ホラーがあり、ともかく現実に潜む狂気・見えていなかった世界を可視化するのが得意、という印象。
まだ単行本化されてない名作も数多くあります。
今回ご紹介するのは、そんな未単行本化作品。


「曽々祖父」。
歳を取ると人間は神に近づく、という話がありますが、小さい子にとってあまりに年の離れた存在・老人は、最早異物。その得体の知れなさを逆手に取ったスピリチュアル良い話、なのですが、その子どもと老人を繋ぐ関係性が異常過ぎます。
寂しさの残るオチですが、「命」を戯画化しまくることで産み出されたこの発想の異常さ。

そう、高港ホラーの魅力は、異常な想像力で産み出されたものが現実に近付いてきて、そいつが「離れないオチ」が多い。現実と地続きになるような終わり方をよくするのです。

このコンビニ本に収録された高港作品は、比較的「イイ話」エンド、ホラー漫画としては嫌われる傾向にある、「こういう原因があったからこんな怖い話が起きた」という「説明の付く話」多めなのですが、その多めが大体全部、なーんか原因を聞いても納得出来ないというか、まだ話が終わってない感じで終わる、んですよ。次に挙げるヤツはもしかしたら高港先生最高傑作かもしれない、そのパターンの作品。

「シアワセナオウジ」。
初っ端から強烈な人体破壊シーンで開幕。男性が自分の腕にトンカチを振り下ろしている。
それと何の繋がりも無く始まる「バレエ漫画」。本当に二つの物語が展開しているようにしか見えない、関係の無さ。

と思いきや、見開きで二つが同時に進行し始める。
関わりを探す。けれどもこの二つがどう繋がっているのか分からない。バレエ漫画の方もそれなりに深刻。だが、命を賭しているというか、命を消そうとしている漫画の方に比べると話を追う気がなくなるほど軽い。
この二つはなんだ。
なんで一緒に、同じ漫画という体裁で進んでいくんだ、訳が分からない、怖い。

と思ったら繋がった。タイトルが回収された。
繋がったら恐怖は解消されるのか。否。どうにもならない。不条理。

この未曾有の、狂気の二重虚構、これを読まずして高港作品の最高傑作がどれかを論じるのは無意味。

さりげに稲垣みさお先生の「鬱るんです」、稲垣夫妻が鬱と戦いながら必死で生きる様を描くエッセイの新作が読めるのですが、これ単なるエッセイじゃないんです。
読めば分かるけども、これもまた「現実と地続きになっている恐怖」。

明日は我が身、その感覚がホラァ、です。


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