Subbacultcha

「サブカルチャー」という括りの下、文学・芸術・漫画・映画等について述べます。

2011年2月26日土曜日

ずんどこ耽美、ポップに残酷を楽しむ『創世記』



魔法少女まどかマギカというアニメが面白い。
エルフェンリートとかひぐらし、もしくはレ・ミゼラブルとか小公女でも良いんですが、それらが受けたりするのと同じ様な感じで、
一定の層は本当に美少女が好きで、そのキャラクタの可愛さと悲哀を楽しんでるんだと思います。
そうじゃない層は「美少女」というアイコンと残虐趣味のギャップを楽しんでるのではないでしょうか。

どちらにしても皆安全な所から他人の不幸を見てみたい欲求ってのは少なからずあると思います。
だから僕は正義漢ぶったジャーナリズムが嫌いなんですよね。
「不幸」に人間の本質を見るから覗き見たいのだ、とそういえば僕も彼らを信頼するのに。



この星園先生の描く女の子を見るにつけ、絶対この人は「美少女」が好きです。
にも拘わらず、無情なまでに彼女達を象徴化・ツール化して、蹂躙するのがこの『創世記』。

星園先生がリスペクトする作家として挙げているのがアウトサイダーアーティスト・ヘンリーダーガー。
彼の描く世界では大した必然性も無く大人に子どもがぶち殺され、
それに反してヴィヴィアンガールズという聖少女像というイメージが違和感無く共存しています。
好きで好きでたまらなくなると、そうした真逆性が不具合無く合わさってしまうのです。
だから、「食べる」、「解剖する」、「保存しておく」みたいなのは倫理的に共感は出来ませんが、
僕はとても納得出来ます。
制御出来ない程強烈な情熱は、表と裏を貫通して「一枚」にしてしまうのです。
星園すみれ子の描く世界には、そうした倫理的に共感出来ない部分と納得出来る部分がぴったり合わさった気持ち良さがあります。

とはいえ、彼女はヘンリー・ダーガーではありません。
そこが彼女の魅力のキモであるのです。
ダーガーの世界では、必然からキリスト教やポップカルチャーからの影響が見られますが、
それはその素材を使わなくてはならない、代替不能なものとして、強固にそこに配置されています。
なんというか、神経症的なコラージュ。

対して、星園先生にはそうした神経症的な感じはあまりありません。
その描線なんかはとても細かくて、とにかく耽美的なバロック的な線をガシガシ入れる!という気迫があるのですが、別段題材としては何でも良くて、「耽美な雰囲気」ありきで物語が後から配置されていきます。
この本は短編集で、特に表題作「創世記」などは創世記を星園流にアレンジしたものですが、
一歩引いた素材拝借、「パロディ」なのです。
笑っていいのです。
その軽い感じと、残虐と、美少女が合わさり、何とも言えぬ魅力的な世界が構築されています。


常々ガチの死体写真を見てみたいと思ってる。でもちょっと怖くて見れない。
新興宗教による被害者を祭り上げる様なことは不謹慎で許せない。でもオウムの勧誘アニメを見て吹き出したりする。

そんな臆病で、でも実はアングラな雰囲気大好きなサブカルファンにはたまらない一冊。

アウトサイダー・アートって何ぞや?という人の為のまとめ。
➼個人的な「アール・ブリュット」と「エイブル・アート」の違いまとめ

あとダーガー展見に行けたのは、ホント人生の上でのプラスでした。
➼僕と共犯者に成りませんか?『ラフォーレ原宿:ヘンリー・ダーガー展』




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