Subbacultcha

「サブカルチャー」という括りの下、文学・芸術・漫画・映画等について述べます。

2011年3月5日土曜日

今ならアタシブタと呼ばれてもいいっ『花のズボラ飯』




幸福ってなんなんでしょうね。

「あなたにとって『働く』って何ですか?」と聞かれます。
当然就職して収入を得たい私は「自己実現の手段です」とか言う訳です。

「私は仕事を通して、一個人として認められたいのです。
無論最初の内は大した事は出来ないでしょう。
しかし、ゆくゆくは私が私でなければ出来ない、そういった仕事をしたいのです。
そうして、人から代替不能なモノとして認識してもらえる事を目指すのが
私の自己実現であり、働くということであり、幸せということだと思うのです」

んなわきゃあない。
結局突き詰めれば「飯のタネ」が欲しい訳で、それに付加価値として「自己実現」なんてのを付けたそうとしているだけなのです。
美味しいもんを食べる・リビドーを刺激し、満たす・安全に満足に眠れる。
幾ら人間様が火を怖がらない、道具を使う、芸術品を作る、神に次ぐ、いや神にもまして地球を統べる存在である!といえども、その原動力には必ずこの三つの何かが関わっています。
だからこそ、この根幹に近いテーマの内、「食べる」は活動的かつ老若男女問わず共有出来、イメージしやすいという万国共通のエンターテイメントに成り得るのです。



本作の原作者、久住昌之さんは近年、ナイスミドルがとにかく外食を食べまくり、内面を極めて特徴的な言葉選びで吐露するという『孤独のグルメ』で微妙なブームを巻き起こした人気漫画原作者。
漫画を描くのは、水沢悦子さんという新人(?)漫画家。変名でエロマンガ描いてる人なのですが、特にそれについては言及は無い模様。この人の描くキャラクタはとにかく可愛い。三頭身・四頭身位の、如何にも漫画チックにデフォルメされたキャラクタが、割と欲望に忠実に行動・発言する。どこまでが水沢先生の範疇なのかは分かりませんが、本作でも主人公・花さんがそうした魅力を大爆発させています。

進行は、『孤独のグルメ』と同じく「飯を喰うエピソード」が一話完結でつらつらと続いて行きます。
ただ、『孤独の~』とは真逆の
・主人公はロリ可愛い主婦(30)
・描写されるエピソードは必ず「家で食う飯」を中心としたモノ
・よく喋る
・ハイテンション
・感情表現がストレート
・ご飯にお金があまりかかってない
という、い~い対称具合なのです。


以下、イイネ!と思った花さんの発言集。
「ご飯が無いチンゲール!!」
「本を読む気にもなりまセーヌ川…」
「めしめし…もりもり…たまたま…まんなかちょいほり…わりわりいれいれ」
「今ならアタシブタち呼ばれてもいいっ 幸せなブタちゃんです」
「でもいーんだぷーっ明後日はシヤワセな夫婦の夕餉だぷ―――――!!」
「くやすい~っ 風邪退治汁の効果が薄れちゃう!!」
「湯捨ててー…お約束のボコン鳴りましたぁー」
「ハイできあがり~花のエサですよー」
「あたりめえだ オラおかわりさするだ!!」
「なんかすごいテーブルになっちゃったぞぉ まぁいいやここは高級ズボラ料理店ってことで…」

雑感としては『孤独のグルメ』を『よつばと』ノリで行く、という感じ。

ご主人のゴロさん(奴だといいな)は単身赴任中で、残されたハナさんは毎晩一人寂しく飯を食う訳です。
でも全然寂しくない。
彼女は「楽しみ方」を存分に心得ているのです。
勿論、三大欲求を満たせる事はとても幸せなことです。
しかし、本作の花さん、『よつばと』のよつば、『孤独のグルメ』のゴローちゃんなどから「幸せ」を考えると、そうした基本的な欲求よりも「如何に世界を自分のフィールドに出来るか」というのが幸せを決定付けるもの、と思えてきます。
就活に対しても、如何に会社を自分のフィールドに出来そうか、で選ぶべきなんですよね。

部屋はくっそ汚いし、作る飯は適当の極み、服装は来客がある場合を除いてほとんど下着。
けれど、是非こんな友達が欲しい。そんな幸せ漫画です。


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