Subbacultcha

「サブカルチャー」という括りの下、文学・芸術・漫画・映画等について述べます。

2011年3月10日木曜日

遠くへ行けるのは天才だけだ『ソーシャル・ネットワーク』




ようやく見て来ました、フェイスブック創世神話、『ソーシャル・ネットワーク』。
創始者、マーク・ザッカーバーグとフェイスブック、
それを取り巻く二つの訴訟についての物語。

一件は、「ハーバード大ブランドのソーシャルネットワーク作ろうぜ!」という企画を
ザッカーバーグに持ちかけた三人による、
「アイデアを盗まれた」訴訟。
もう一件は共同創業者として彼に資金提供を行い、
最高財務責任者として活躍しようとした親友・エドゥアルドによる
「ザッカーバーグの裏切り」訴訟。



二つはそれぞれ、綺麗な二つの対立を描いていて、
現実に起きた事なのに、練り込まれた物語の様な形をしています。

前者は「一般人VS天才」
企画を持ちかけた三人は、卓越したプログラミング技術と独創性を持ったマークに近付き、
「全国の女子大生が登録することで、我々ハーバード大生に出会えるSNSを作って欲しい」と依頼、マーク承諾。
しかし、いつまで経っても「会えない」とマークは返答し続け、
いつの間にかフェイスブックを完成させてしまいます。
で、それがヒットしたために、「俺達の依頼はどうなったんだ!アイデアぱくってんじゃねぇよ!」と三人はブチ切れ、訴訟。
確かにきっかけは三人がマークへ接触した事なのですが、マークが言う様に「じゃあフェイスブック作ってみろよ」が真理。アイデアを形にする事が出来なかった、彼らの意図するもののスケールが小さかった点から、どうしても彼ら三人の嫉妬にしか見えません。言うだけなら、考えるだけなら、誰だって出来る。彼らだってかなりハイクオリティな人材ですが、形にする能力が無かった事で「一般人」でした。


後者は「合理性VS直感」
エドゥアルドは財務責任者、CFOとして、利益を出す方法やスポンサー集めに画策します。

エドゥアルド「登録人数が増えた、広告を入れよう!」
マーク「ダメだ、広告なんか入れたらクールじゃない」

エ「まずは資金調達だ、スポンサーを集めないと」
マ「いや、まずはもっとフェイスブックを広げてからだ、エドゥアルド、お金出して」

ことごとく却下。
挙句、音楽無料配信サービス「ナップスター」を立ち上げたショーンが出て来て、
同じ志向の先駆者としてマークに指導、マークもその意見に賛同。
次第に邪魔者扱いされていくエドゥアルド。
会社に大ダメージを与えかけたのをきっかけに、保有株の価値を下げられ、追い出される様な形に。

大部分のサラリーマンがエドゥアルドであり、成功する経営者がマークやショーンなのです。
目の前の問題をコツコツ解消し、成績をコツコツ積み上げていく。
確かにその方法で行けば、大きく失敗をすることはありません。
しかし、同時に大きな成功もあり得ないのです。

抜きんでる為には、「誰も想像し得ないゴールを設定し、そこへ向けて道を繋げていく事」であって、道を作ってゴールを目指していては、現代の目まぐるしい変化の波の中で溺れ死んで行くだけなのです。
そのゴールが何か、を見つけるのは地道な努力では無く、閃く事、直感を信じる事。
マークが述べる所の「クール」。安住の地を求めるのではなく、今よりも、もっともっと遠くへ。
色んなフィルター、安全策を優先したり、無難な人間関係に甘んじたり、誰もが思い付く簡単な道を選んだり。それが必要とされる場所もあるでしょう。
しかし、「天才」とはそれらのフィルターやバイアスを取り除きながら、直感に従って道を選んで行ける人々のことなのだと感じました。

エドゥアルドのようなやり方で成功する人も、中にはいます。
けれどもそれらの人々は「時代の成功者」であり、その一時代が済んでしまえば過去の人となってしまう。
対してザッカーバーグのような人間は、切り拓いた者として「歴史の成功者」となっていくと思います。

スケールはでかい、でも世界中の様々な所で見られる物語。
「普遍性アリ」として、名作の一つに数え上げていっていいんでは。


『ソーシャルネット・ワーク』公式サイト


己をひたすら信じること。
➼決して消えない光がある『正義隊』

一度決めた事は、最後まで貫き通す。
➼闇闇闇。『告白』




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