Subbacultcha

「サブカルチャー」という括りの下、文学・芸術・漫画・映画等について述べます。

2011年3月18日金曜日

『未確認動物UMA大全』とボルヘスの『幻獣辞典』何が違うのか考えてみた

小さい頃から図鑑を眺めるのが好きでした。
僕の博士遍歴は、魚に始まり、虫、鳥、恐竜、動物、とよく分からない進化を遂げ、何の因果か最終的に妖怪に辿り着いてしまったようです。
何にせよ、昔から人では無いモノ、「違うモノ」を求めていたんじゃないかと思います。

で、今、手元に二冊の分厚い本が在ります。

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一冊はこちら『未確認動物UMA大全』。


ビッグフットやネッシー、スカイフィッシュ、ツチノコといった超有名UMAから、
チュパカブラ、フライング・ヒューマノイド、モケーレ・ムベンベ、モスマン等の中堅ドコロ、
そしてこの本以外に扱ってる本が在るかさえ疑わしいキャビット、半漁人、ウマ人間、モッシー、
更には目撃例のある実は絶滅して無かった絶滅動物マンモス、モア、タスマニア・タイガーまで、
いわゆる「未確認動物」と言われるモノをほぼ網羅した本です。
全511ページ、定価で買えば四千円、というUMAの日本語版エンサイクロペディアと言っても過言ではないでしょう。
単に「図版と目撃例」を載せて紹介のみに留まらず、形態、目撃の歴史、正体の考察など非常に一種一種に丁寧に項目が割かれています。惜しむらくは、幅の広さを求めたが為に日本のUMAを有名所しか抑えられなかった、という位でしょうか。

続きまして、こちらの本、『幻獣辞典』。


多分著書よりも有名な著者・博覧強記の魔人ボルヘスの記したUMA図鑑。
扱っているモンスターは上記のモノより大分古く、
表紙に描かれているルイスキャロルのチェシャ猫、カトブレパス、サテュロス、ミルメコレオ、八岐大蛇、トウテツ等、神話・伝説級のモノ、小説や伝承から抜け出してきたモノ達が対象となっています。


「幻想生物」という題材を共にしながら、この二冊の本は恐ろしく雰囲気が違う。
無論、扱っているモノの雰囲気の差というもあるのですが、僕はその「指向」が違ってて、それぞれに面白さがあって好きです。

前者は、筆者がとにかく緻密に、全力を尽くして、ピンセットでモンスターたちを集めて来て本に封印したような迫力があります。なんというか、変な話なのですが「データとして信用性の高い本」なのです。
こういう本はいつも持ち歩かなくてはなりません。
野鳥を見た時の様に、遭遇したらパッとリュックサックから取り出して、実物と比較、ためつすがめつ眺め、
「あっ!アレアレ、このオゴポゴじゃない?」
「いやぁ単なるリュウグウノツカイだって、見間違い見間違い」
「落ち着け、ゼウグロドン、あれはゼウグロドン」
「お前こそ、ちょ、おちけつ、ココオカナガン湖じゃなくてマニトバ湖だから。マニポゴだから」
と確認を行う為の実用的な『図鑑』なのです。


対して後者は、作者が「そういえばこんな話があってね、」と何かのきっかけでふと思い出した単語を広げていき、どんどん話題を深化させていくような淡い雰囲気でモンスターたちが紹介されていきます。
それはおばあちゃんの語ってくれるおとぎ話の様でもあり、
鬼の様な博識を感じさせる比較文化論の嵐の様でもあり。


序文の中に大好きな一文が在ります。
「われわれは宇宙の意味について無知なように、竜の意味についても無知である。」
確かに竜について、マンドレイクについて、ハルピュイアについて知る事そのものは実利的には何の意味も有りません。
しかし、それを生みだした時代を、人を、思いを探る手段の一つとして、ソレを知る事はある種無意味でもあり、意味のあることとも言えます。ソレを一つ一つためつすがめつ眺めていくと、不思議な事に、「宇宙」が普遍的単語であるのと同じ様に「竜」が普遍的な意味を持ってくるのです。面白い。
こちらの本の使い方は、家に置いておいて、ふと思い付いた事との関連事項を探す為に使います。いわば、思考の『類語辞典』として。


ひとまずどちらも頑張って読みとおすような本ではありません。
どちらの本の著者もそう述べています。
そういえば、と手に取る。
「読む為」とか「学ぶ為」とかじゃない本があってもよいんでは?

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