Subbacultcha

「サブカルチャー」という括りの下、文学・芸術・漫画・映画等について述べます。

2011年9月6日火曜日

語らってみた『アウトサイダー・アート談議 with air_sonshiさん』

twitter上で盛り上がってしまったので、
スカイプで語ろうぜ!という事でスカイプをし始めたものの、
iPhoneでスカイプするともう、ブチブチ切れる切れる…

のでスカイプのチャット機能で会話させて頂いて、
ほんでそのログをブログ上でまとめる事にしました。

酢めしさん(ブログ『紙媒体渇望して』:http://d.hatena.ne.jp/sumeshi30/)をパクッ…オマージュ&リスペクトした結果、ほぼ同じデザインとなりましたが、ご容赦のほどを。

近年隆盛し始めた「アウトサイダー・アート」とは何か?
本当は挨拶程度のつもりだったのですが、
現状、そして未来、二人の興味の方向等、非常に有意義な談議が出来たように思います。
勉強になりました。

アールブリュット、アウトサイダーアートが何なのかさっぱり分からん、て方は
こちらの記事をお読み下されば幸いです。
➼個人的な「アール・ブリュット」と「エイブル・アート」の違いまとめ


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語り手:








(スカイプでのビデオチャットを試みるものの、muneyuki側がiPhoneからのアクセスということで接続が安定せず。スカイプを利用した、文章チャットに切り替える)
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①如何にしてアウトサイダー・アートと出会ったか

muneyukiサンは学生さんなんですよね??

はい!文学部なのですが、一応その中でも芸術偏りの勉強をしております。
で、今、丁度卒業論文を制作中です。

卒論はやはり文学に寄せた内容なんですか??

いえ、「ダーガー論」をやろうかと思いまして。
ヘンリー・ダーガー(Henry Darger, 1892年4月12日 - 1973年4月13日)は『非現実の王国で』の作者である。
誰に見せることもなく半世紀以上書き続けたが、死後にそれが発見されアウトサイダー・アートの代表的な作家として評価されるようになった。
彼の作品(物語・自伝・絵画)に関しては、ジェシカ・ユー監督の映画「非現実の王国で ヘンリー・ダーガーの謎」で一部を確認することができる。映画は、生前のダーガーを知る人物へのインタビューと本人の自伝を組み合わせつつ進むが、本人の姓の正式な発音や、何故作品を書き始めたのかなど、不明な点も多く残されている。-Wikipedia

僕も、学生時代は哲学・社会学を専攻していたのですが、それとは別に美術には特別な思い入れがありまして

そんしさんは何故アウトサイダーアートにご興味を?

元々、美術には特別な関心があったんです。思春期の頃から。
それで、現代美術が停滞し始めた時にアウトサイダーアートに出会って感銘を受けましてね

僕は個人的に停滞している時期、というか浪人して受験をしてる最中に2chのオカルト板のまとめで「世界一長い物語を作った人」ということでダーガーに出会いました。

それでは、アウトサイダーアートがダーガーを中心に世間の関心を集め始めた2005年以降ですね

はい。ジャンルとして知ったの自体が2007年頃の、にわかファンですね!

私は世代間でどれくらいアウトサイダーアートの認識に共通点や差異があるのか関心がありますね

そんしさんは、いつ頃「アウトサイダー・アート」というものを知られたんですか?

求龍堂出版が『アウトサイダーアート』を発売した2000年頃です。

ちょっと年季入ったファンなのですねw

そうですね(笑)
その後、2003年に服部正さんの教科書的な新書
が出て、新しい美術の潮流に興奮したのですが、2005年頃には、美術教育の内部でも教わるような「インサイド化」も進み、
頽廃主義的な作風を持つ「自称アウトサイダーアーティスト」が現れ始めた2005年頃には少し距離をもつようになりました。

その「自称」の例を知らないんですが、例えばどんな人が居るんでしょうか?

いや、mixiの画像トピックに「アウトサイダーアーティストです」なんてコメントを載せたアーティストさん達が目に見えて増えたんですよ

うわぁ・・・それは酷い。明らかにデュビュッフェの最初の「アール・ブリュット」の定義からも外れてますね・・・
ジャン・デュビュフェ(Jean Dubuffet, 1901年7月31日 - 1985年5月12日)は、20世紀のフランスの画家。アンフォルメルの先駆者と見なされ、従来の西洋美術の伝統的価値観を否定して、「生の芸術」を提唱した。
デュビュフェはフォートリエ、ヴォルスらとともに、アンフォルメル(「非定形」の意。1950年代に盛んになった前衛美術運動)の先駆者と見なされ、20世紀美術の流れをたどる上で重要な画家の一人である。
デュビュフェは従来の西洋美術の洗練された技法や様式、巨匠の名人芸といったものに価値を認めなかったばかりか、西洋文明そのものを痛烈に批判し、子供、「未開」人、精神障害者などによる絵画をアール・ブリュット=生の芸術と呼んで賛美した。彼は精神障害者らの絵画を収集し、展示したこともある。1976年、デュビュフェの蒐集した作品をベースに、スイスのローザンヌにアウトサイダー・アートの美術館であるアール・ブリュット・コレクションが開設された。1985年にパリで死去。- Wikipedia

インサイドの側にいる人達が、アウトサイダーアーティストのお墨付きを与えるわけですからね
また、美術教育の場でもアウトサイダーアートが題材になり、一気に「インサイドへの内部化」が進んだ時期でもありましたね

ちょっとキング・クリムゾンの例を思い出したのですが、「俺達をプログレなんて呼ぶんじゃねぇ!!」と。もし自分の事をきちんと作家だと認識している作家であれば、自分で自分のことを「アウトサイドだ」なんて主張するのがそもそも嫌なんじゃないでしょうか
キング・クリムゾン(King Crimson) は、イギリスのプログレッシヴ・ロックバンド。一般的には英国プログレッシヴ・ロックの雄として認識されているが、中心人物のロバート・フリップは自身の音楽が「プログレ」とされることを快く思っておらず(「『プログレッシブ・ロック』という名称はキング・クリムゾンが活動を始めた時をさす際のみ妥当な呼称であり、我々はすでにそこからさらに進化している」という考えのため)、実際にその音楽性も実験的要素を保ちつつ、シンフォニック・ロックからジャズ・ロック、フリー・ジャズ、フリー・インプロヴィゼーション、ヘヴィ・メタル、ニュー・ウェイヴ、ヘヴィ・ロック、「ヌーヴォ・メタル」などと多彩に変化を繰り返している。

同意です
アウトサイダーアーティストが、自身の作品を「アウトサイドだ」という意図を持った時点で、それこそデュビュッフェが施した厳密な定義から外れてもしまいます

②変質するアウトサイダー・アート
インサイドへの内部化、についてなんですが、それはもう「アウトサイダー・アート」なんて囲いを作った時点で、必然的に有り得たものなんでしょうね。

その通りだと思います。インサイドへのカウンターカルチャーとしてアウトサイダーアートを設定した時点で、もうそれは宿命づけられていたとも考えられますよね。

「それまでの芸術以外」という本来囲いの無さを強調する筈だった為の言葉が、囲いになってしまう、ってとても皮肉。

アウトサイダーアートに限ったことではありませんよ。たとえば印象派やシュルレアリスム運動なども、既存の美術に対するカウンターとして始まったはずなのに、一般的に認知され一定の権威を持つようになると、かつて糾弾していた「インサイド」に取って代わってしまう

僕は何となーく、江戸時代の農民が、「自分とこの国」と「それ以外」という印象しか無かったのに、アメリカがやって来て「世界」っていう概念が流入して来た所で初めて「俺って日本人だったんだ!ほんであいつらはガイジン!」って思い始めるのと同じ様なイメージを抱いてます。

そういったインパクトと可能性は僕も感じていましたし、大きかったと思います。

音楽でもよく「ネオフォーク」とか「ノーウェーブ」とか「ニューゲイザー」とか、それまでの上塗りみたいなジャンルが出て来ますけど、「アウト・アウトサイダー・アート」みたいなバカバカしいジャンルが出て来る可能性もあるんですかね?

アウトサイダーアートが、このまま美術界のインサイドになるのを避ける為には、「アウトサイダー・アート」から更に派生させたカテゴリを作るというのは手段の一つですね。
それと、もう一つ考えられるのは、デュビュッフェの定義を時代の要請に沿うように再定義し直して行く作業しかないんじゃないでしょうか??

デュシャンや村上隆が行ってるような、「モノ」でも「行為」でもなく、「思想」で芸術を行うような感じですか?
マルセル・デュシャン(Marcel Duchamp, 1887年7月28日 - 1968年10月2日)は、フランス出身でのちアメリカで活躍した美術家である。デュシャンが他の巨匠たちと異なるのは、30歳代半ば以降の後半生にはほとんど作品らしい作品を残していないことである。「レディ・メイド」と称する既製品(または既製品に少し手を加えたもの)による作品を散発的に発表するほか、ほとんど「芸術家」らしい仕事をせず、チェスに没頭していた。
彼のこうした姿勢の根底には、芸術そのものへの懐疑があり、晩年の1966年、ピエール・カバンヌによるインタビューの中でデュシャンは、クールベ以降絵画は「網膜的になった」と批判しており、「観念としての芸術」という考えを述べている。
-Wikipedia

20世紀初頭から、アウトサイダーアートの現場も様変わりしましたから、「モノ」や「行為」を含む「思想」としての芸術になっていくのではないかというのが僕の予想です。

なるほどー。
しかしそうなると、制作している当事者が疎外されて、勝手に周囲が「芸術化していく」ような感じになってきませんか?
…いや、それが元々紹介者を必要とするアウトサイダー・アートの必然的な変化なのか?

「アウトサイダーアート」は当事者の為のものなのか、それともそれを媒介したり鑑賞したりする周囲の者のものなのか…

でも「芸術」が成立するのが、そもそも「評論家」「鑑賞者」が居てこそ、なんですよね…
既存の、インサイドの芸術者達は、そこんとこ自分で「芸術です!」って言い張って「作品」が出て来るからいいんですけども…

僕も、以前は異なる立脚点からこのことを考えていたんですが、最近では、他の美術と同様「他者との関係線上に成り立つ」芸術なのではないかと考えるようになってきました。

なるほど。其処は「アウトサイド」とはいえ、「アート」が名前に入ってるのだから、他者ありきな訳ですね。
でもあんまりダーガーを連呼するのはアレなんですが、
作家が作品化するのを嫌がる→作家が口出しできない状態になる(死亡、植物状態化、痴呆等)→でも作品化する価値があると思うので作品化するよ!
というダーガーのような状況になってしまった時、果たして「芸術、作品」と呼ぶべきなのか、って事を僕はずっと思っています。

その指摘、心情にはとても共感出来る部分があります。特にダーガーの存在によってそのような問題状況に出会いますよね。当人は誰に観せる意図もなく、廃棄してくれと言ってこの世を去った訳ですから、当事者不在のまま「芸術」の旗を立てて良いものか…。

勿論、現在小出由紀子さん、はたよしこさんの行ってるような、「発表の場が見つかりにくい作家達を発掘する」というやり方には大賛成なんですけどね。そんしさんのおっしゃったベクトルでこの「アウトサイダー・アート」というジャンルが隆盛していくと、そうした「望まぬ芸術」が増えそうで怖い…
ボーダレス・アートミュージアム NO-MAとは、滋賀県近江八幡市にある美術館である。アール・ブリュット(アウトサイダー・アート)の一部をなす障碍者による美術作品の展示を目的とする、日本初の、数少ない施設である。
アール・ブリュットにも関りの深い、絵本作家のはたよしこをアート・ディレクターとし、「ボーダレス」の意味にこめられた、障碍者アートだけにとらわれない企画を模索している。また、設立以前の1995年から(はた個人の活動としてはじめられた)、新たなアール・ブリュットの作家の発掘に取り組み、記録、公表している。
-Wikipedia『ボーダレス・アートミュージアム NO-MA』

うん。確かにそのように危惧してしまいます…

ものっすごい腹立たしかったのが、原宿でやってたダーガー展に行ったんですけど、スタイリストだかカリスマ美容師だかがダーガーの作品を買ったらしく、「其れを毎日眺めては、クリエイティビティを刺激されてる」みたいな公式コメントを寄せてて、うおおおい!!と突っ込みたくなりました。私物化すんなよ…

疑問を抱かざるを得ないエピソードだなぁ…

まぁ好きなモノを手元に置いておきたくなる気持ちはよーく分かるんですけどね。

いや…それにしても違うだろうと…

③好きな作家とか

ちなみにそんしさんはこのジャンルの中で、好きな特定のアーティストとか居ますか?

パッと思い浮かんだのは、坂上チユキサン喜捨場盛也サンです。
坂上チユキ:作家自身による略歴
約5億9000万年前プレカンブリアの海にて生を授かる。オパビウム、ハルキゲニアなどを供とし、嵐の後の浜では打ち上げられたエルドニアをフリスビー宜しく海に還してやったはずだ。

4億3800万年前大気上層でオゾン層がつくられ、大気が安定した頃の海の青と空の青、これ即ちCeruleanならぬSilurian Blue。この青は未だ脳裏に鮮明に残っている。地上ではメガニゥラと緑の中を散策する。

古生代は平穏な時代だったが中生代において弱肉強食の生存合戦が激しくなる。約6500万年前、アンモナイトの最後の一匹の死を看取る。悲しかった。私は古代魚から生き残る術を教授され彼らのもとへ、深海へと移り住む。

時は過ぎる。私は陸へあがる。勿論場所はガラパゴスであった。そこにかつての仲間達の姿を求め寂しさの内にも心休まる一時を過ごす。その後ヒトがベーリング海峡を渡って南下した逆を辿り、北上しユーラシア大陸へと至る。

微睡みからさめた頃、私は火山群島にいた。そしてそこには既にヒトが闊歩する“社会”が出来ていた。封じ込められた過去の記憶の望むままに私は“紋様”そして何よりも懐かしいSilurianの青を描き始める。ネアンデルタール人の直系とみられる左脳への絶え間ない刺激を尊ぶヒトに精神的、肉体的苦痛を受け続ける。とはいえ少数ながら心優しきヒトに助けられ、生き続けるために私に課せられた営みをつづける。

ヒトは言葉という武器を持つ。私は今はあえて言葉を用いない。私はひとつの挨拶をおぼえた。肩を抱きキスをするのだ。皆様方にキスを。

現在、私は海の近くに居を構え、シルリアンの青を描き続けて居る。
この時代、私は幾つかの宗教に関わった。そしてその長い歴史を知った。多くの人々がそれらに寄りすがり、祈る。目頭を押さえざるを得ない光景だ。
神は何処かと問うと恍惚とした表情で天におられる、と眼差しを空へ向ける。その指先に沿って天を見やると矮小化した月と輝きの褪せた星々が有る。あれ位大きな輝き、夜空に君臨して居た月は、今では悲しげで、ようやく夜空にお情けの位置を貰って居る様だ。そして神は何処か。
私は病に倒れた。病院へと隔離される。そこで私が出会ったのは、祈りを忘れたテレーズ達と差し出す腕を持たないキリストだった。
私の病は、奈落へと直下する。
ここでは、人々の言葉は過剰で心は寂しい。環境が汚染されて居ると言うが、この血なまぐさい穢土に住み、真に汚れてしまったのは、本当は人間ではないか?
時の流れと共に、心の内から叩き落とされて行った言葉-純真で、単純で、人の心に流れ込む言葉を、本当に失ってしまったのか?
一体誰がこんな沢山の言葉を造り上げたのか?
それら総ての言葉を皆、本当に必要として居るのか?
人々の心の内の享楽さ、゛詩人″が造り上げたのか?彼らは言葉を操り、自己表現を美化、正当化させて居るのではないのか?

私は詩人を憎む。
私はかつての仲間達の亡霊を引き連れて来ようか、そしてその人々の心の内の゛詩人″を食らわせてやろうか?
そう出来れば、と心の底より願う。
それだけでは物足りない。
何よりも、化学記号を駆使して危険な自爆装置を造り上げ、罪無き人々を巻き込み、その装置の威力を試みる奴等を、臍の辺りから去勢してやりたい。
私はその凶器が作動せず、風化する事を望む。
そしてそれを見届け、6億の齢を数える頃、私は海に還ろうと思う。
ノーモア・ヒロシマ。病は重い。
私は疲れた、少し休もう。
-MEM-坂上チユキ紹介ページより:http://mem-inc.jp/artists/sakagami_j

喜捨場さんは何か熱烈な、アツい感じの感じへの執着があって僕も好きです。坂上さんはちょっと難しい…

muneyukiサンは、好きなアーティストさんは誰ですか??

まずはまぁダーガーと、実物見た事無いけどシュヴァルと、いくらのパジャマっていうのを作ってた下田賢宗さんて方が好きです。インパクトとか、背後のストーリーとか重視のようです。
フェルディナン・シュヴァル(Joseph Ferdinand Cheval, 1836年4月19日 - 1924年8月19日)はフランスの郵便配達人。33年の歳月をかけて自力で巨大な城塞を建設した。今日ではシュヴァルの理想宮 (Palais idéal) として知られる。
-Wikipedia

存じておりますよ♪なるほど。作家のバックグラウンドと重ねて魅力を増す作品が好みなのですね^^

「コレが好き!!」という熱狂を感じてしまうと、ついクラッときちゃいますねw

いやぁ、こんなにアウトサイダーアート談義出来るなんて嬉しい。今度はぜひ、あい子サンやコスモスサンを交えてチャットしてみたいです。ご両人とも、僕なんかよりずっと深い見識の持ち主ですから、muneyukiサンの刺激になると思いますよ^^

是非是非! このチャットだけでも何か「アウトサイダー・アートについて話せたなぁ!」という満足感があります!

ご挨拶のつもりがついつい盛り上がってしまった。。w 個人的にもまたこういう機会を設けていただけたら嬉しいです♪

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とまぁ本当は挨拶程度の会話をさせて頂くつもりだったのですが、
事の他盛り上がって、中々面白いお話をする事が出来ました。
僕自身まだまだ勉強すべき点が沢山ある為、今回のこの談議も非常にいい刺激となりました。

またこうした機会が有れば記事にしたいなぁと思います。

「アウトサイダー・アート」への興味を深めた本。
➼『戦闘少女の精神分析』要旨「ファリックガールズが生成する」個人的まとめ

その著者の講演をまとめたもの。
➼芸術の内側と外側『アール・ブリュットをめぐるトークシリーズVol.1:アール・ブリュット作家の共通性と個別性 斎藤環』

文中で僕が述べている、原宿で行われたダーガー展。
➼僕と共犯者に成りませんか?『ラフォーレ原宿:ヘンリー・ダーガー展』

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