Subbacultcha

「サブカルチャー」という括りの下、文学・芸術・漫画・映画等について述べます。

2012年4月21日土曜日

ヨナ、最後の選択『ヨルムンガンド 11』

待ちに待ったヨルムンガンドの最終巻。

果たして、ヨナが物語の最初に発していたモノローグ、
「僕は武器商人と旅をした」
は、どんな風に回収されるのか。
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10巻の表紙をココ一人が飾ったのと対比的に、
11巻の表紙はヨナ一人が飾ります。

11巻は、ココの提示した問いに対してのヨナの選択から始まる。

10巻の最後で、ココは「ヨルムンガンドシステム」、世界中のコンピュータの情報改変と、コンピュータ制御が必須になる管制システムとの諸々を把握する、という超中二システムを提示します。
しかし、その立ち上げの為に、システム発動の瞬間、「空」に存在する70万人の命を犠牲にしなくてはならない。

ココはそれを「世界平和の為に必要な犠牲」と切り捨てるつもりでいるものの、
ヨナにはどうしてもそれが納得出来ない。


かつて、ヨナの発した台詞、
「それでも僕は世界が好きなんだ」
これをココは理想論に過ぎない、と斬って捨てます。


この漫画で何度も強調されて来た、「現代の戦争=ビジネス」という図式。
日本に居るとついつい見失いがちですが、現代においては既に「水」は、天からの恵みでは無く、一企業の占有物・商品になりつつあります。
その実態については、以下の映画に詳しいので、少しでも興味のある方は是非に。

で、火種は既に燻り始めていて、戦争は無くならない。

武器商人でありながら、ココはそうした現実が堪らなく嫌いで嫌いで仕方が無かった。

ヨナの「世界が好き」というスタンスに対し、ココは「世界が大嫌いだ」と表明します。
そこには、チナツやアールの見た、怪物の姿が在った。


ココがヨナを引き入れたのは、「武器商人でありながらも戦争が、戦争を起こす世界が、憎くてたまらない自分」と近しいものを感じたからでした。
「武器が憎くてたまらない、にもかかわらず有能な少年兵」であるヨナならば、根底の所で似た者同士である者ならば、自分と分かり合える筈だ、と。

しかし、ヨナの取った選択は、こうでした。
彼女に向けた銃を収め、海に飛び込む。その場から逃げ出す。

ヨナの憎む「戦争」、ヨナの好きな「世界」と
ココの廻す「戦争」、ココの嫌いな「世界」とには、ズレがあったのだから、当然と言えば当然の結果です。
けれども、ココには何故ヨナが逃げ出したのか、自分と分かり合えなかったのかが理解出来なかった。

ヨナの出発点は、両親を戦争で失ったところ、そして守るべき存在・3人の子どもたちのこと。
ココの出発点は、武器商人の一族として生を受けたところ、そして武器商人として世界を渡り歩いたこと。
出発点が違えば辿り着くゴールも違う訳で、もう二人の道は分かれるべくして分かれた、と言えます。
そして、チャプター"NEW WORLD"は終わりを告げ、
次章"ウォー・モンガー"ではココと分かれたヨナがその後どうしたのか、
そして終章"恥の世紀"で「武器商人と旅をした」ヨナの最後の選択が描かれます。


正直なところ、一巻を買って読んだ時は、「あっ、買って失敗した!」と思っちゃったんですよね。
なんかゴチャゴチャして見辛い画面だし、主人公チームのキャラが多い割に全員が(漫画的な)特徴のあるキャラじゃなくて覚えらんないし、ちょっとミリオタ臭い話で興味無い人間からしたら小難しいし、なんて思ってました。
同誌掲載のブラクラの方が分かり易くエンタメしてます。

勿論この漫画もバリバリエンターテイメントしてるのですが、つか漫画的なキャラクターで溢れ返ってるのですが、キャラクターを描いてるんではなくて、キャラクターが「生きている世界」を丁寧に描いているからこそ、キャラ物よりも小難しく、でもちゃんと読むと非常に面白い漫画なのです。
「ココ」=世界、戦争、平和という問題を、「ヨナ」という一個人の眼を通して描く。


そして、
・きちんとそれが現在の一歩先を行くサイエンスフィクションであること
・世界観を描くことに終始せず、アクションシーンもしっかり面白いこと
・少年、ヨナの心の成長物語であること
から、最後まで読んで良かったなぁ、と思える漫画でした。

ココに銃を向けるヨナ、そしてそこから更に成長した姿を見せるヨナ。
その成長ぶりが実に気持ちの良い、最終巻です。


前の巻。
➼「現代」以降、『虐殺器官』以前。『ヨルムンガンド 10』

SFは技術の進化の中に見える「切なさ」が柱だと思う。
➼人は死ぬが、ロボットは死なない『星屑ニーナ 2』






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