Subbacultcha

「サブカルチャー」という括りの下、文学・芸術・漫画・映画等について述べます。

2011年8月13日土曜日

飛べ!雌豚!『あぜ道のダンディ』


広島の、全国的に有名(?)な
インディペンデント・ミニシアター・サブカルチュアシアター【横川シネマ】。
元々この横川という地区は、まぁちょっといかがわしい感じの街で、
そこにある映画館もちょっといかがわしい感じの映画館だったのですが、
そこに飛び込んだ横川シネマ。

余談ですが、横川駅北口のすぐ前に在るお好み焼き屋『みっちゃん』はサイッコ―なので、チェキです。

今、↑に掲げたような雰囲気を醸し出しつつ、
映画だけでなくトークショーやらライブやらも開催しており、
もうこれは行くしかねぇだろ!!と思って何の目的も無く行ったら、全く知らん映画ばかりやっており、
まぁとりあえず入ってみよか、と入った所、ほんともう、シアター一つとチケット売り場しかないインディペンデントっぷりで、夏休みだというのに、お客さんは四人位。

いっやぁー、この映画も、なんかよく分からんちょっとサブカルっぽい雰囲気を醸し出しつつ、そんな面白くない中途半端なギャグノリで身内にはバカ受け、みたいなミニシアター系なんじゃないか?という、じゃあ何でお前ら入ったの、ってレベルの心配をしながら入場した所、泣く程面白い映画でした。
大当たり。

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中学校の時から仲の良いおっさんふたり、宮田(右)と真田(左)。
昔っから二人とも、特に勉強が出来た訳でも無く、運動が出来た訳でも無く、人を笑わせる才能があるでもなく、かといってオタク趣味と呼べるほどのめり込む趣味も無く。
特に何者にもなれなかった二人は、特に何の特徴も無い平凡な町で、平凡なおっさんになった今も友達づきあいを続けていた。

配送業の宮田には、大学浪人中の息子と高校3年生の娘がいる。
妻は早くに亡くなり、父だけで子ども二人を育てている。
でも思春期の子どもたちは父親とはほとんど口をきかない。
宮田は頑張って会話をしようとするのだけど、いつもかみ合わない。

真田は最近父が亡くなり、七年間の介護生活を終えた。
介護生活の最中、妻に逃げられ、忙しさから辞職し、残ったのは父の遺した遺産だけ。
お金だけはあるので、ひとまずこれからは頻繁に宮田と飲むか、等と決意する。

それで何が面白いって、優秀なホラー映画の様に、監督がハッピーエンドフラグとか死亡フラグとかを立てては折り立てては折り、と良い意味で観客を裏切り続けるのです。

例えば、『漫才』にはボケとツッコミという役割があって、ある種観客はそのルールに従わなければなりません。
「ボケ」は一般認識とずれた意見を述べる。
「ツッコミ」はそのズレを、一般的な観点からズレである、と指摘しなくてはならない。
僕はどうもその「ルールを強要される雰囲気」が、あんまり笑い辛いなぁ、と思ってしまうひねくれっぷり・中二っぷりなのです。

本作では、その「笑い」のシーンが必ずしもそうした「どや!俺おもろいやろ!」という笑いの強要では無くて、
何かコレ笑っていいのか…?
シリアスに、笑わずに、話を聞くべきなのか…?
と何だか我慢を強要されるのです。


「我慢」を強要されると、何故かその後受けるダメージって倍増しちゃうんです。
牛乳を口に含んでのにらめっこ然り、ポケモンの技の一つの「がまん」然り。

どんな感じかというと、

帰宅した宮田は、子ども達とのコミュニケーションが上手く行かず、
妻の遺影が飾ってある仏壇の前で、酒を飲んでいる。
何とも言えず寂しくなり、妻が晩年に録音したカセットをラジカセにセットして流し始める。
ラジカセから流れる妻の声。「あなた、いっぱい伝えたい事があります。…やっぱり唄います」
突っ込む宮田。「唄うのかよ」
「ソソソラ ソラソラ 兎のダンス たらったらったらった(以下兎のダンスを唄う、奥さんの病床のよわよわしい声)」「…ふぅ。せっかくなんで、二番も唄います」
宮田「二番も唄うのか…」

おい、笑っていいのか?

奥さんの、病気らしい弱った声。
亡くなった後にそれを孤独に聴く夫。
なんで唄うんだよ。兎のダンスにどんな思いが込めてあるんだよ。
おい、ここ笑っていいのかよ!

全編通して、切ないような、可笑しいような、渋いような、甘いような、微笑ましいような、馬鹿馬鹿しいような、一言では言い表せない、温かいというよりはぬくい、というイイ雰囲気が漂います。

おっさん二人は、結局何を手に入れる訳でもありません。
もしかしたら僕の感じた何とも言えない可笑しさ合わないと感じる人もいるかもしれません。
ですが、おっさん二人を通した「人間の描き方」がとにかく素晴らしい映画です。


例えば中盤辺りで真田が宮田に、何気ない感じで「いいよ」というシーンがあるのですが、
このシーンの何気無くも素晴らしい人間愛を、黄金の精神を感じさせる素晴らしっぷりは
『ニューシネマ・パラダイス』のアルフレードからトトへの形見にと託されていたフィルム缶の中身を観るシーンにも、
『街の灯』の眼の開いた花売りの娘が、「おじさま」の正体に気付くシーンにも、
『七人の侍』で勘兵衛が「この飯、疎かには喰わんぞ…!」としっかり飯を噛み締めて喰うシーンにも
比肩する
、と僕は言い切ります。


ちなみに記事タイトルに持って来た台詞は、
一見清純派の様な外見で、でもバリバリ援交をしている女子高生。
この辺、「ギャル系」=「援交」という記号で済ませてしまわない辺りが、
監督の「人間」というものへのにじり寄りを感じさせるのですが、
その援交女子高生に対して、宮田がガツン!と言うシーンの台詞。
痛快というか何というか、またしても真剣に取るべきか迷ってしまう迷シーンです。

あと、終盤の、家族が『兎のダンス』を踊るシーンのキチガイっぷりは、日本映画史に残るぷりですぞ!!

公式サイト


何者にも成れなかった男達の末路の一つ。
➼現代における罪と罰『ろりともだち』

ローカルだから、カッコいい。
➼僕らの路地裏戦争『堀川中立売』





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